遠野あすかさん × 平澤創 [対談]

フェイス25周年記念Webサイトスペシャル対談企画10

もう一回、しっかり苦労する道を通って、
新しいことに挑戦し続けたい。
遠野あすかさん×株式会社フェイス代表取締役社長 平澤 創

娘役に憧れ、高校1年生から宝塚を目指す。
平澤 創(以後 平澤)
本日は、フェイス25周年記念対談にお越しいただきありがとうございます。
遠野あすかさん(以後 遠野)
こちらこそ、貴重な機会をありがとうございます。恐縮しています。
平澤
今回は、これから新たな飛躍を遂げようと挑戦されている方をお招きしようと思って、お呼びしました。
遠野
あら、ありがとうございます。
平澤
宝塚歌劇団・星組のトップ娘役になったのは何年目だったの?
遠野
割と遅くて9年目ですね。2006年の11月から2009年まで、娘役としては結構、長居した感じです。
平澤
そうなの。そもそも宝塚に入ろうと思ったきっかけは?
遠野
娘役に憧れて。
平澤
ほお、珍しいね。
遠野
宝塚は男役の世界だし、男役さんが好きなファンの方が多いと思うんですけど、私は最初から娘役さんが好き。フィナーレ近くに娘役さんが大人数で、ロングスカートを持ってひらひらさせて踊るのがすごく好きで、誰かのファンというより、大勢でわちゃっと娘役さんがいるところが好きだったんです。
平澤
わちゃっとね。
遠野
そう。ドレスを着て、歌って、踊って、毎日楽しく過ごせるんだろうな、入りたいなって。
平澤
それは何歳くらいの時?
遠野
高校1年生の時。
平澤
へえ。高校1年からって遅いよね。
遠野
遅い、すごく遅い。小さい頃から英才教育を受けた人が多い世界だから。私、バレエを始めたのも16歳からなんです。
平澤
えっえっ!
遠野
体も硬くて、なかなかついていけなくて、結構苦労しました。
平澤
へぇ。受験できるのは中学3年から?
遠野
中学3年から高校3年。
平澤
じゃあ、高校1年でなろうと思い立ったのは、あり得ないくらい珍しい。
遠野
本当に遅かったんです。
平澤
一発で受かったの?
遠野
2回目です。1回目はさすがにボロボロで、バレエを踊ったあとに、自分の席に戻ったら、隣の受験生に鼻で笑われたんですよ。「ああ、笑われた」と思って。人に鼻で笑われるってそんなにないでしょ。落ちたことよりも、それがすごいショックで1年頑張って、翌年入ったんです。
遠野あすかさん×株式会社フェイス代表取締役社長 平澤 創
平澤
相当、頑張ったんだね。そういう経験があるから、今、スクール事業ができるんですね。
遠野
そうなんです。宝塚音楽学校向け受験スクール。
平澤
「私はこうだったから、決して遅いことはないのよ、諦めるなんてダメ」って普通に言えるし、生徒さんたちは勇気づけられるよね。
遠野
そう思います。
平澤
でも、才能のない人は、どれだけ磨いても難しいところあるよね。
遠野
それはありますね。まず、一番の才能というのは、普通、宝塚を観て楽しかったら「また観に来よう」となる、それを「私、あっち側になりたい」と思うこと、思いつくこと自体がまず、すごい才能。
平澤
ああ、なるほど。
遠野
踊ると疲れるし、怒られると精神的にも凹むし。そういう辛い思いをしてでも好きこのんでやろうと思うこと、それ自体がすごい才能であって、その気持ちがないと、どんな美人でも難しいと思います。
平澤
なるほど、よく見ていますね。今の話、すごく重要だよね。アーティストも同じ。まずは気持ち。
遠野
そうです。
平澤
でも、気持ちはすごく強くて、舞台人としてバッチリの性格だけど、ちょっと厳しいな、っていう人もいるよね。
遠野
いますね。でも宝塚は、多分、他の芸能界に比べたら割と努力でどうにかしていける。
平澤
いわゆる容姿端麗じゃなくても、スター性って別にあったりしない?
遠野
そう、全然、別のことですよね。私も高校1年生の時、「あ、私って美人じゃないな。残念なんだな」と気がついたんです。モデルさんや女優さんだったらその時点でアウトでも、宝塚は舞台用のお化粧もつけまつ毛もじゃかじゃかするので、努力が報われる世界なんです。そこがすごく素敵だなと思っています。
平澤
そんなご謙遜を。「残念なんだ」ってことはないよ。
遠野
いやいや、残念ですもん。
平澤
確かにそういうところはあるかもしれないけど、昔に比べると、今すごく、お綺麗ですよ。いや、ますます。
遠野
何か複雑。あの頃、若かったのに(笑)。
平澤
いやいや、でもね、これから宝塚受験するようなお子さんたちを見ていて思わない?泥がいっぱいついているお芋さんみたい。でも、磨いたらどんどん綺麗になっていく。女性は、10代、20代がピークだと思っている人が多いけど、僕はそう思わないんだよね。
遠野
あら、そういう意見ありがたいです。
平澤
実際、スクール事業どうですか。
遠野
面白い。奥深い。二十歳を過ぎた大人では、あの奇跡は絶対に起きないなというような成長を見せてくれることがあるんです。中高生には、ある日突然、そういうことが起きるから、すごく楽しい。あとその年頃では、頑張るポイントが自分ではわかっていない人が多くて、そこへ導いてあげると、パパパッとうまくなったりするのも、教える側としてとても楽しいです。
平澤
今、何人くらい教えているの?
遠野
だいたい年間50人くらい。その中の40人弱が受験して、ここ1、2年は6、7人受かっていますね。
平澤
すごいね。
遠野
40人中7人って、結構、幅きかせますよね。
平澤
最大手派閥みたいな。
遠野
そんなことはないです。100人以上受験させる大手さんもありますから。でもうちは、分母が少ない割に受かっているかな、と思います。
平澤
合格率が高い。
遠野
そうですね。自分が受験した頃は子供が多かったので倍率も45倍くらい、今は24、5倍になりましたけど、当時に比べて今の方が難しい、レベルが高いと思います。
平澤
最難関の中の倍率2、3倍でも、すごくハードル高いのに、宝塚の何十倍って倍率はもうすごいですよね。希望者は全員、受け入れるの?「あなた無理よ」みたいなことはないの?
遠野あすかさん×株式会社フェイス代表取締役社長 平澤 創
遠野
ふるいには掛けないので、断ることはないです。ただ、私がトップだったということを知っていて受けに来るので、その人の前で歌ったり踊ったりできるくらいの自信があるというか、多分、本人の中で何か感じるものがあるからこそ、私の所に来ていると思うんですよね。
平澤
なるほどね。逆に「この子は行けるな」っていうのは、わかる?
遠野
ほぼ、わかります。受かるなって思ったら絶対受かる。でも、それが中3なのか、高3なのか、いつ受かるかはわからないですね。
平澤
諦めることなく続ければ、この子は受かるというのはわかる。
遠野
はい。宝塚も最近、何回落ちても這い上がって次の年も受けにくる、「どうしても入りたい」という気持ちのある子を取ってくれるというか、頑張ってきた年数なども考慮してくれているのかなと感じるような採用の仕方になっていますし。
平澤
結局、競争社会だから、鼻で笑われようと、何があっても絶対に這い上がってくる、そういう気持ちが大事なんだろうね。あすかは、何を教えているの。
遠野
私は歌も少し見ますけど、面接の練習が中心です。できるだけ全レッスンを見て、その子がどういうイメージで受験するか、プロデュースする作業をしています。それをもとに、それぞれの先生にどういう風に指導して欲しいか指示を出したりしています。
平澤
なるほど。受験のメニューって、まず歌でしょ。
遠野
1次は面接だけなんですよ。
平澤
え?そうなんだ。
遠野
1次は面接だけでしか見てもらえない。2次は歌と初見でその場で歌う新曲視唱、あとバレエとジャズダンスがあって。3次はまた面接だけ。
平澤
じゃあ1次で終わっちゃうと、「あんなに練習したのに」ってショックだよね。どのくらい落ちるの?
遠野
1次終わって、1/3とかになるのかな。
平澤
結構な割合だね。継続に向けてのフォローもするの?
遠野
します。受験に落ちるのって、実は失恋と似ているんですよ。恋い焦がれて、思いを募らせて、一生懸命お洒落して、綺麗にして行って告白したのに、振られちゃった、そういう感覚に近いものがある。今の子は、その失恋から立ち直るのに時間がかかりすぎかな、「その人はもういいや」って諦めちゃうのが早いかな、と思うことが多い気はしますね。
平澤
本当に好きだったら、そこから這い上がってくる。
遠野
そう。放っておいても大丈夫なんですけどね。
突然のトップ娘役の病欠。
代役を気合いで演じ切った「エリザベート」。
平澤
宝塚歌劇団入団後の仕組みを教えて欲しいんだけど、研究生で研1、研2とかあるよね。あれって何?
遠野
入団年数に応じて、研究科1年生、略して研1と呼んでいます。いつまで経っても研究科の生徒。タレントさんじゃないの。
平澤
入団以降、何年経っても生徒さんって、不思議だよね。
遠野
創始者の小林一三様が考えたんです。学び続けろよ、っていうことですよ(笑)。
平澤
専科※でも生徒さんって言うの?
※特定の組に所属せず、各組の舞台に特別出演して舞台を引き締めるスペシャリスト集団。優れた芸の手本として、後輩の育成にも尽力する宝塚の宝箱的存在。
遠野
そうです。だから結構、お年が上の方でも生徒さんです。
平澤
その序列は、絶対的だよね。
遠野
絶対的ですね。
平澤
上下関係は入団順で完全に年功序列。でも配役に関しては違う。だからこそ、うまくいくのかな、と。
遠野
組織として、すごくうまくできているなと思います。わざわざガバナンスを言わなくても、全て自動で綺麗に収まるようになっている。
平澤
一回、入団すると、自分が辞めるって言わない限り、辞めさせられることはないんでしょ。
遠野
基本的にはないと思いますよ。余程の怪我をしちゃったとかでもなかったら。
平澤
そうしたら、ついていくしかない。音楽学校は卒業するまで2年?
遠野
そう、学校生活は予科1年・本科1年の2年です。
平澤
それからいよいよ初舞台を踏むことになるわけだけど、その時はどうでしたか。
遠野
初舞台は、初日前日に捻挫しちゃって、むちゃくちゃ腫れてすごく痛かったんです。でも、ラインダンスって、それこそピッタリ合っていることが命だから、足をパンパンに腫らして、泣きながらやった記憶があって。
遠野あすかさん×株式会社フェイス代表取締役社長 平澤 創
平澤
ほう、しかも毎日踊らないといけないでしょ。
遠野
そう、毎日です。あの経験でだいぶ根性がついた気はします。
平澤
肉体的なプレッシャーにも強くなる。一人抜けたら立ち位置合わせるのも大変だよね。
遠野
もう大変。
平澤
誰か休むことになった時ってどうなるの?
遠野
一応、全て代役が決まっていますけど、そもそもあまりないことだから、誰も気にしてなくて、いざ誰かの休演が決まった時点で「何か代役入っていたっけ?」と見るような状態。実際、ある日突然、全く振りを知らないところにポイっと入ったこともありました。
平澤
振りを覚えてなかったらできないでしょ?
遠野
見覚えですね。稽古場でずっと見ているから、何となく覚えている、それで頑張る。
平澤
そもそも稽古ってどのくらいしているの?すごい時間かけているよね。1カ月ちょっとの舞台に対して。
遠野
1ヶ月ちょっと。
平澤
同じ分だけ稽古するんだ。
遠野
はい、毎日、昼の1時から夜の10時までかな。
平澤
うそ、そんなに!それを毎日?
遠野
そうです。
平澤
休みは?
遠野
週1。
平澤
週1休みで、1カ月間、昼の1時から夜の10時まで毎日…。
遠野
それは全体稽古で、その前後に自分たちだけで稽古する時間もあるから。どれだけ稽古好きなんでしょうね。
平澤
確かに1カ月、1時から10時まで稽古していたら、ほとんど覚えるよね。
遠野
そう、何となく覚えていて、出番前にちょっと教えてもらって舞台に向かう。
平澤
すごいね。
遠野
ある時、娘役のトップさんが休んで、「代役、私か!」ってなったことがあって、あれは本当に血が凍りましたね。
平澤
トップ娘役が休むとなったら、セリフすごくない?
遠野
その時は、「エリザベート」というミュージカルだったので、ほとんど歌だったから、本当にありがたかった。セリフがたくさんあったら大変でした。
平澤
え?「エリザベート」のトップ娘役を代役でやったの?
遠野
そうなんですよ。
平澤
突然主役が病欠したら休演じゃないの?
遠野
ね、私も「それでもやるんだ。何があっても払い戻さないんだな、この劇団は!」って思いました(笑)。
平澤
僕もそう思うよ。すごいね。
遠野
開演15分前に言われたから大変でしたよ。
平澤
えええ?すごい経験だね。
遠野
本当にミュージカルで助かりました。立ち位置は一緒に舞台に出ている人が何となく教えてくれたり、連れていってくれたり。でも宝塚の舞台は、セリ(上がったり下がったりする部分)とか、盆(本舞台の中央にある廻り舞台)とか機構が多くて、把握していないと危険がいっぱいだから、かなり緊張しました。
平澤
それは、いつ頃のこと?
遠野
2002年だから、出会う1年くらい前ですね。
平澤
それは見てみたかった。どんなことになっていたんでしょうか。
遠野
もうお客さんがすごく温かくて。あんなに大きい拍手、あの時と、退団の時くらいしか受けていない。「お前よくやった」みたいな。
平澤
その話、感動してしまった。それ以上の経験ってないよね、きっと。
遠野
オープニング後、2,000人を前に一人で出ていって、自分の場面が始まるあの緊張は忘れられない。恐ろしかったです。代役の初日、本編終わりのショーの存在をすっかり忘れていて、「ああ、終わった!」と思った瞬間に、「あれ?これからショーだ!」って気づいて、そこからも大変でした。2人だけのデュエットダンスとか、いよいよ他の人の振りを見て踊ることもできないし。
平澤
どうしたの?
遠野
適当に踊った。嘘ばっかり踊った(笑)。
平澤
(笑)。でもすごい。それを1回乗り越えただけで、あすかは次、トップになるだけの度胸と器が備わっていると誰もが思うよね。
遠野あすかさん×株式会社フェイス代表取締役社長 平澤 創
遠野
どうなんでしょうね。
平澤
誰でもできるわけじゃないから、僕だったらそう思うけどね。
遠野
結局、その代役はその日2回と次の日の計3回。あれでかなりの度胸がつきました。
平澤
そんな経験する人、まずいないよ。
遠野
よくご存知だと思うんですけど、私、普通の人よりだいぶだいぶ小心者なんです。あの経験がなかったら、殻を破れなかったかもしれない。
自分がイメージする将来が見えていたから。
夢があったからこそ。
平澤
僕が、あすかを初めて意識して見たのは、博多座『コパカバーナ』のコンチータ役の時。
遠野
あれは2006年に専科に異動してからだから、結構、後の方じゃないですか。
平澤
そう、実は遅かった。僕、観た講演は全部パンフレットを買っているのね。
遠野
えええーー。それ、ファンじゃないですか。
平澤
今日、持って来たよ。これは、花組の時。
遠野
うわ!すごく懐かしい。
平澤
コンチータ役ではかなり大きく載っているけど、花組の時はまだこの辺にちょっといる。
遠野
あははは。本当だ、写真が小さいもん。下級生だから。
平澤
コンチータ役、面白かった。
遠野
私も一番好きな役です。
平澤
どうして?
遠野
楽しいんですよ、演じていて。
平澤
楽しいよね。ああいう役、向いていると思う。
遠野
宝塚は1時間半のお芝居だから、どうしてもドラマチックな展開、ちょっと悲しいお話も多いので、毎日やるには結構辛い。だから、こういう罪のない感じがすごく楽しかった。
平澤
その後、星組に異動して娘役トップになるよね。トップになるかどうかは、どこで決まるの?
遠野
わからないんですよ。ある日突然、電話がかかってくる。
平澤
そうなんだ。花・月・雪・星・宙の5組と専科があって、全部で何人くらいいるの?400人くらい?
遠野
もう少し。450人以上はいると思います。
平澤
その中でトップスター5人、トップ娘役5人しかいない。それは価値あるよね。トップになると気持ち的には変わるの?
遠野
あまり変わらなかったかな。
平澤
それは、宝塚には上級生下級生(先輩後輩)っていう絶対的な関係が前提としてあって、今、たまたまそういうタイミングで自分はその役を演じているだけという感覚があるからかな。
遠野
そうそうそう。トップだったことを感じたのは、やめてからの方が大きいかも。中にいる時は、タカラジェンヌであることも、トップであることも、特別なことだって意識していなかったけれど、やめてからそういう言葉で紹介されるようになったので。
遠野あすかさん×株式会社フェイス代表取締役社長 平澤 創
平澤
確かに紹介しやすい。宝塚時代、自分では順調だっていう想いだった?
遠野
うーん。トップになるのが遅かったこともあり、30歳近くになって体力の限界を感じ始めて。「20代前半はこのスケジュール平気だったのに、今しんどいな」とか「息が苦しい」とか、最後の方は、体力との戦いでしたね。
平澤
確かに、公演1回あたりトータル3時間、1日2回公演の日もあって、それが1ヶ月ちょっと続いて、ショーもあって、よく持つねって思う。
遠野
起きた瞬間に、声が出るのか怖くて怖くて、朝、起きてまず、「今日も声出るかな」って恐る恐る「あー」って試してみる日々でした。
平澤
逆に、体力的にも楽で、一番よかったなっていう時期は?
遠野
私の場合は25、6歳くらい。どんな役が来ても、どうしたらいいのか降ってくる。アイデアも湧いてくる。「私、天才か!」って思いましたもん。短い期間でしたけど、そういう時期がありました。
平澤
それはいつ頃?
遠野
花組の最後くらい。神がかっていた1、2年が過ぎて、以降は降ってこなくなり、そこからは経験で何とかするようになりました。
平澤
それは経験で誤魔化すってことじゃなくて、正しい姿だと思うよ。味が出るって、そういうことだから。勢いでバーッときて、その全ての歯車が噛み合うのが自分の中でのピーク。それ以降は、味になっていく。僕も25歳の時に起業したからね。
遠野
早いねー。
平澤
早いなぁ。でも今、振り返ったらヨチヨチだったよ。確かに音楽作る時、「俺、天才か!」って思うほどに、降って来たし、見えていた自分の中でのピークあったよね。今、音楽作ろうとか、アレンジしようとか思ったら絞り出して、絞り出してもなかなか出てこない。
遠野
わかるわかる。
平澤
でも経験もあるし、見えているから、これはいい、こういう形にしておいた方がいいとか、これやめておいた方がいいとか、その判断はできるよね。
遠野
25歳で起業して、着メロビジネスを立ち上げたのはいつ頃ですか。
平澤
32歳。
遠野
それまではどんな感じだったの?
平澤
もう貧乏。
遠野
あははは。平澤さんの貧乏話、私めちゃくちゃ大好き。ミートソース缶食べていた話。
平澤
よく覚えているな(笑)。ミートソース缶、安売りの時に買っておいて、半分だけ使ってたくさんパスタ食べて、残りは冷凍して、次使う時、電子レンジがないから缶を直接コンロにのせてお箸で崩しながら直火でコトコト温めたっていう話でしょ。20代はずっと貧乏だった。
遠野
そういう話、大好き。
平澤
今、同じことはもう無理だと思うけど、あの時はあの時で楽しかったな。
遠野
もう一つ、とにかく人手が足りなくて、すごい勢いで人と場所を何とか確保して、フル稼働で、ものすごく働いていたっていう話がすごく好きなんですよ。だって今じゃ、優雅にサクッと仕事していそうなイメージだから。
平澤
あれは着メロ以前、インターネット経由で、パソコンでカラオケができるサービスを始めようとして、カラオケの音源作りと歌詞のテロップ作業に追われていた時の話。赤坂のメインオフィス以外に第5分室まであったからね。一番広かった第3分室が、当時、偶然にも日本コロムビアの目の前だったんだよね。
遠野
へぇ。
平澤
知識は必要だけど、新しいものを作っているわけじゃなく、自分の中ではクリエイティビティが低い仕事だったにも関わらず、もう働きに働き続けて。どうしてこんなことやっているのかな、って当時ヒットを連発していたコロムビアを見ながら思っていましたねー。
遠野
うわ、それ感慨深いですね。
平澤
感慨深い。当時はまさかコロムビアがグループに入るなんて思っていなかったから。
遠野
うわ、その話いいな。その話も好き。
平澤
世代は違うけど、お互い20代にそういうことを乗り越えている。振り返ったら楽しいよね。
遠野
楽しい。
平澤
嫌な思い出とかあまりないよね。それは多分、自分がイメージする将来像が見えていたからじゃないかと思うんだよね。だから続けられた。未来があると思っていたし、夢があったから。
遠野
確かにそうかも。私も、ものすごく楽しかったし、舞台が好きだった。
平澤
僕はいつが一番楽しかったかって聞かれたら、やっぱりあの第5分室まであって、寝ないで働いていた時期ですって答えるかもしれない。
遠野あすかさん×株式会社フェイス代表取締役社長 平澤 創
遠野
へぇ。そういうものなんですね。私今でも、宝塚すごく好きです。観るのがすごく楽しい。お客さんとして楽しめるようになってきた。宝塚100周年の時には、パーティも多くて、本当にたくさんのOGの方々にお会いできたんですけど、「そんなに?」と思うくらい、みなさん宝塚が大好きですよ。
平澤
でもそれは素敵なことですよね。
遠野
本当に素敵だと思う。
挑戦し続けることの重要性。
平澤
退団以降、他の舞台もやっていたよね。
遠野
やりましたね。他のミュージカルを観るのも好きだったから、憧れていた演出家さんの舞台を中心に何作かやりました。
平澤
その中で一番記憶にあるのは?
遠野
「アンナ・カレーニナ」ですね。
平澤
観たよ、観たよ。ロシアの文学作品だよね。
遠野
そう観てくださった。この作品めちゃめちゃ暗いじゃないですか。でも私、若干明るいパートのコメディ部門担当で、なんかね、あの作品、すごく好きだったんですよね。
平澤
なるほどね。
ところで、今の活動は、スクール事業が中心でしょ。
遠野
そうですね。結婚を機に、今までよくしてもらってきた宝塚やファンの方々への恩返しになるような何かを、と思って始めたんです。
平澤
これからはどういうこと考えているの?
遠野
先ずは、このスクールをもっと大きく、しっかりさせていきたいと思っています。スポーツの世界では、第一線で活躍した方たちが監督やコーチ、指導者になることが多いですけど、宝塚受験スクールに関しては必ずしもそうではないことがあり、現役さんがあまり良いイメージを持っていないんです。そうなると、自分も教えたいとはなかなか思わないので、もっと活躍した人たちが直に教えてあげる機会を増やせるように、現役生徒も「受講したい」、もしくは「教えたい」と思うスクールにしていきたいですね。中高生がベストな教育を受けられる環境を作っていきたいです。
平澤
なるほど。
遠野
後、もうすぐ40歳になるので、40歳の野望で新規事業も始めたいと思っています。
平澤
そうか、40歳、早いね。知り合った頃、25、6歳だったもんね。
遠野
その間に起きたこと、悩んでいたことの90%は相談していますよ。私の中では、平澤さん、メンターだから。
平澤
(笑)。
遠野
これからもメンターにいろいろ教えてもらいながら、新しいことにチャレンジしていきたいと思っています。もう一回、しっかり苦労する道を通って、もう一つくらい何かをやりたいな、と思うんですよね。
平澤
まさにまさに。挑戦し続けるってすごく重要だと思うんだよね。だからこそ、今日お招きしたんだよ。
遠野
私、この歳なのに何も成していないって焦りが強くあるし。
平澤
宝塚のトップを務めて、さらに何かをやろうとするのはすごいなと思う。すごく期待しています。僕も振り返ってみると、出会った当時は、創業社長では最年少で東証1部上場社長になったり、藍綬褒章をいただいたり、いろんなタイトルがあった時期だった。果たして以降、何しているのかなと思う。
遠野
そんなこと思うんですか。もう十分じゃん、って思うけど(笑)。
平澤
まあ、トップを務めたあすかが、さらに次を目指していることにすごく力づけられる。あすかも頑張っているし、僕も頑張ろうかなって。まあ、夢は大きい方がいい。これくらいでいいやと思っていたら、そこにも至らなかったりするから。期待しています。
遠野
今後ともよろしくお願いします。
平澤
あと一つ。7月に統合型リゾート(IR)実施法案が成立して、いよいよメイドインジャパンのエンターテインメントショーが必要になってくる。カジノで有名なラスベガスの売上もカジノは25%だけで、メインはエンターテインメントのショーによるものだからね。まずは黒船的に海外発信のエンターテインメントから始まると思うけど。
遠野
日本にもダンサーさん、結構な人口いるけれど、割と暇をしている感じがするので、そうした方たちの活躍の場が増えたらいいなとは思いますよね。本当、舞台に立つことを望んでいる人口と場所と機会が全然マッチしていなくて、活躍できていない人が多い。
平澤
それは場所の問題?演出家の問題?
遠野
先ずはやっぱり集客が難しいっていう問題ですよね。
平澤
なるほどね。でもラスベガスに行くと、必ずどれかを観よう、と言うことになるよね。
遠野
そうですよね。
平澤
だから、リゾートの中にすごかったなと思ってもらえるエンターテインメントを提供できたら面白いかなと思うんだよね。舞台に立ちたいと思っている人たちを集めたら、すごいことができそうな気がするから、本当に才能と技術がある人たちが活躍できる場所を作りたいと思っています。
遠野
なるほど。素晴らしいですね。
平澤
何かアイデアがあったらお願いします。
遠野
考えます!
平澤
今日はありがとうございました。
遠野
こちらこそ、ありがとうございました。
遠野あすかさん×株式会社フェイス代表取締役社長 平澤 創
遠野あすかさん×株式会社フェイス代表取締役社長 平澤 創

遠野あすか(とおの・あすか)さんプロフィール

千葉県出身。1996年、高校1年生で宝塚音楽学校入学。84期生。1998年3月、宝塚歌劇団入団。宙組大劇場公演「エクスカリバー/シトラスの風」で初舞台、1999年1月宙組に配属。入団2年目、「CROSSROAD」で和央ようかの相手役に抜擢。2000年の新人公演で初ヒロインを果たす。2001年8月花組に異動。2002年、「エリザベート」本公演でエリザベート皇后役の代役を務める。2006年2月専科に異動。「コパカバーナ」ではとうが立った大スターという役を演じる。2006年11月星組に異動、12月星組トップ娘役に就任。2009年退団、以後、東宝芸能に所属し、女優として活動。2013年より、宝塚受験生のための「受験までのプロセス」を通じて、美しさと頑張ることができる力を身につけた女性になるためのスクール「ClaLes〜ClassyLessons〜」を主宰。