はるな愛さん × 平澤創 [対談]
はるな愛さん × 平澤創 [対談]

フェイス25周年記念Webサイトスペシャル対談企画9

心開いてもらった自分の経験を持って
世界に向けて動いたら
また何かが変わるかもしれない。
はるな愛さん×株式会社フェイス代表取締役社長 平澤 創

10周年記念パーティで「エアあやや」
平澤 創
今日はお時間割いていただきありがとうございます。
はるな愛さん(以後はるな)
こんなふうに、改めてお話をするのは不思議ですね。
平澤 創
初めてお会いしたのは、今から17、18年前かな。
はるな
18年前ですね。
平澤 創
まだ、愛ちゃんが11歳の頃。
はるな
そうそう!創ちゃんが15歳の時(笑)。
夫婦漫才?
平澤 創
なんでやねん(笑)。
はるな
私が三軒茶屋のお店を始める前ですから。
平澤 創
共通の友人の結婚式の二次会で、ゲストとして叶姉妹のモノマネをしていた時?
はるな
よく覚えてますね。山本ヘンダさんと叶姉妹のモノマネでコスプレを一緒にやりました。
平澤 創
そう、叶(かのう)姉妹ならぬ「不可能姉妹」。その時、すごく面白い人だな、という印象だったのでよく覚えています。そのあと、フェイスの10周年パーティに来ていただいたのが今から15年前。
はるな
じゃあ今年で、創業25周年。
平澤 創
そう。本日は25周年を記念した対談で、この25年間にお世話になった方や、フェイスの歴史の中ですごく大きな影響をいただいた方をお招きしています。
はるな
わあ、すごい。
平澤 創
今日は、そういう方々のお一人としてお越しいただきました。
はるな
ありがとうございます。お世話しました~。
平澤 創
(笑)。
はるな
してない、してない(笑)。
平澤 創
まあ、大きな意味ではお世話していただきましたよね(笑)。最初は10周年のパーティ、確か会場は都内の某超高級ホテル、社員だけのために開いたパーティでした。
はるな
そう。素敵な会場で、オープニングでオリジナル曲「エンジョイ」を生歌で歌ったり。
平澤 創
よく覚えてますね。
はるな
覚えてますよ。緊張したもん。
平澤 創
では今から15年前の10周年のパーティですごいことがあって、今日はそのVTRを見てみましょう。
はるな
えっ?あるの?
平澤 創
今はないけど(笑)。でも、持っているんですよ。
はるな
いやー、やめてほしい、恥ずかしいわ。
平澤 創
「エアあやや」も「エア聖子ちゃん」もやってくれて。
はるな愛さん×株式会社フェイス代表取締役社長 平澤 創
はるな
「エアあやや」は、テレビの時はネタをギュッと短くしているんですけど、パーティの時は喋り出してから曲が終わるまで約6分のフルバージョンで。
平澤 創
「え~っと、歯磨き粉を~」っていうやつ。
はるな
「今日の~朝~、くぅ~じに起きたんですね」っていうやつね(笑)。聖子ちゃんも長いんですよ。「プーさんチームとしんのすけチームをぉをぉをぉ」って(笑)。
平澤 創
ご覧になられていない人たちには全くわかりませんが、実はフルバージョンはすごく面白いんですよね。世の中的には「エアあやや」が知られているけど、僕はどちらかというと「エア聖子ちゃん」の方が面白かった。
はるな
お店ではやってたんですけど、松田聖子さんの音源、テレビではなかなか使用できなかったんです。
平澤 創
聖子ちゃんで盛り上がった後に「エアあやや」を挟み込む感じで、「今日、極秘でこのお店に来る人がいるんよ」とか言って。
はるな
「今から松浦亜弥さん(あやや)が来るんだけど、ひと席あけてくれる?」って。
平澤 創
そうそう。
はるな
「皆さん、そんなに盛り上がらないでね。彼女をそうっとしておいてあげてね」って言って。そしてあややから電話が来たフリして「あ、三茶のハナマサから入って来てー。突き当たり右だから」ってフリで電話を切り、「もう来るみたいだからみんな普通にしといてね」って言いつつ、座り込んでライト消して、音楽始まってライトが付いたら、自分があややになって出て行くっていう。
平澤 創
そうそうそう。
はるな
全部一人でやってて。
平澤 創
音響も照明も、全部ね。
はるな
演出も全部一人。聖子ちゃんをメインでやった後にあややを持ってくる流れも、お客さんの空気を汲み取ってのことだったんだけど、創ちゃん、わかってたんだ。バレてたんだみたいな、ちょっと恥ずかしい。
平澤 創
話は10周年パーティに戻るけど、あの会場で愛ちゃんは女の子だとずっと思っていた人がほとんどだったよね。
はるな
そうかも。テレビにも出てないし、知られていないし。なんだかわからないけど、急にくちパクショー始めたぞ、みたいな。
平澤 創
そうそうそう。いったい何なんだ!って。でもものすごくウケてた。
はるな
本当に?25周年で見直したら、実はそんなにウケてなかった、みたいなのやめてくださいね。
平澤 創
(笑)あの頃は、色々なことが立て続けにあってね。まず、10周年のあの時は東証一部への上場。当時、ジャスダックから最短で、創業社長としては最年少での一部上場だったから、本来もっと派手にしてもいいような機会だけど、精一杯地味に。
はるな愛さん×株式会社フェイス代表取締役社長 平澤 創
はるな
地味に10周年やったんだ。
平澤 創
そう。しかもあの時は社員に還元しようと思って、お客さんも呼ばず、会場は全員社員。その中で部外者は唯一、愛ちゃんだけ。
はるな
わあ。地味にしようってところに私を持って来るって、すごい挑戦しはった。そんな10周年の節目に呼んでもらって、嬉しかった。
平澤 創
愛ちゃんのショーの後は、普通に僕らのバンドやったり、内輪でしかやらなかったし。
はるな
私って、どぎつい何か、インパクト残して帰ったみたいな。
平澤 創
それが2002年(笑)。
はるな
そうだ、その次は、何か受章された時にお呼ばれしましたよね。
平澤 創
藍綬褒章ね。37歳の時だから2004年のことだね。その時は白金のプラチナ通りの会場でイベントした気がする。
はるな
やりましたね。その時も「創ちゃん、すごい人脈の方だな」って思って。私のネタを楽しんで呼んでくれはるのは嬉しいけれど、すごい方も来ているし、当時、私はテレビも出ていないし、この空気の中で「エアあやや」やって大丈夫かな?って。でも「大丈夫だからやって」って自信を持って言ってくれたから、思いっきりやるしかない!っていう思い出ですね。
平澤 創
あの時もものすごくウケていたからね。そのVTRもあるんで、ちょっと見てみましょう(笑)。
はるな
え~。ちょっと、どこ(笑)。
平澤 創
それはあるかわからないけど(笑)、すごく記憶には残ってる。あの頃もまだテレビにもそれほど出ていなくて、会場のみんな、あの子は誰?みたいな話で。
はるな
本当に女の子だと思って声をかけてくださった方もいたし、それはそれで嬉しかったのを覚えています。2004年の頃は三軒茶屋の小さな坪数の世界が私の舞台だったけど、創ちゃんにすごく広い世界があるんだということをいっぱい教えてもらって。それで私も影響を受けて、「賞」というものを取ってみたいと思うようになったんです。その頃ちょうど、2007年にニューハーフの世界大会、ミス・インターナショナル・クイーンがあるって知って、チャレンジしたんです。
平澤 創
うん、なるほど。約11年前ですね。
はるな
ドレスを作ったり、タイに行く航空券代とか、エントリーにかなりの費用が必要だったんだけど、創ちゃんに「行こうと思っている」って話をしたら、「よっしゃ」って言って、連れて来てくれたお友だちみんなに「カンパして帰れよ」って言ってくれてね。
平澤 創
「財布の中身を全部入れて帰れよ(笑)」みたいな。
はるな
そう。みなさんがカンパしてくださったおかげで、ドレスを作って、タイにも渡航できた。
平澤 創
そんなこともあったね。
はるな
あれが2007年。
平澤 創
愛ちゃんがブレイクする前の年。
はるな
そう2008年。そやねー(笑)。結局、2007年の1回目の挑戦は4位、2回目の挑戦はテレビにたくさん出してもらってからの2009年、世界一になれました!
その自然さで、日本で最初にLGBTの殻を打ち破った
平澤 創
僕は2007年の頃、少しずつ、少しずつ、でもいよいよ愛ちゃんの時代が来るな、って思っていた。
はるな
本当に?
平澤 創
すごく感じる。例えば、LGBTの話もそうだけど、愛ちゃんって常に先駆けているんだよね。世の中が後から追いついてきているっていう感覚はないかな?って思って。
はるな
私が初めてバラエティ番組に出してもらった時は、まだオネエの人はテレビに出ていなかった時代で、当時はテレビ局にいろんな批判とかあったと思うんです。でも創ちゃんが「これ面白いから大丈夫や」って言ってくれた「エアあやや」があって、その芸をする子っていう位置づけでテレビに呼んでもらったから、お笑いの番組だけじゃなくて、いろんな番組に出させてもらえて。その中で、「あの子、男なんやって」っていう感じで伝わっていって、入り口がエア芸だったことで、ゲイとかは嫌だっていう人たちも心を開いてくれたのをすごく感じたんです。そうしてテレビに出してもらったから、どこに行ってもおじいちゃん、おばあちゃんも「愛ちゃん、愛ちゃん」って言ってくれて。
平澤 創
うん。さっきの10周年パーティの話に戻るけど、あの時、愛ちゃんのエア芸見て、みんな女の子だと思っていたよね。あとからネタとしてバラしたけど、なんていうかな、何も違和感がないんだよね。イメージ的には、ゲイの人ってすごく向こう側の世界の人、ちょっと特殊な人というイメージを持っていた人も多いと思うけど、愛ちゃんを見てマイナスの感情を持つ人はまずいないよね。だから10周年記念パーティにお招きしたことをリスクとも思わなかったし、絶対に社員も喜ぶと思ったから、愛ちゃんにお願いしました。
はるな
これ、初めて聞いた。
平澤 創
それでさっきも言ったけど、みんな女の子だと思っていた。その時に、「やっぱり世の中に受け入れられるんだな」と思ったの。別にプロデューサーではないけれど。
はるな
うーーーーむ。すごい。
平澤 創
あの頃、日本だけちょっと違ったけど、海外ではLGBTが市民権を得つつあったというか、そういう人たちもいるよね、っていう風潮になって、みんながそう思い始めていて。
はるな
そうだね。
平澤 創
愛ちゃんは、日本で最初に殻を打ち破った人だと思うんだけど、自分ではそう思わない?ぶっちゃけ、自分が第一人者だと思わないかっていう意味だけど。
はるな
まあまあまあ…。例えば、「企業CMでの採用初めてですよ」とか「NHKへの出演も初めてですよ」って言ってくださる方も多かったですね。
平澤 創
うん。
はるな
自分では、LGBTの代表とは全然思っていないんだけど、そういう立ち位置にもなり得るというのは感じていて。だからこそ、LGBTにもカテゴリーにグラデーションがあり、「色々な気持ちの人たちの意見も汲み取らないと」という意識があったのは確かです。でも、そういうことはあまり気にせずに、私がこういう個性の一人として出続けていたら、次第にマイノリティーの存在が世の中にもっともっと認められるのではと考えていました。
はるな愛さん×株式会社フェイス代表取締役社長 平澤 創
平澤 創
ああ、そうなんだ。
はるな
テレビに出ているうちに、これってそのくらい大きな仕事なんだなって、どんどん実感してきた。例えば、私が「大西賢示です」って男の声を出すことに傷つく人もいるっていう意見を聞いた時に、「ああ、みんなの代表みたいになっているんだ」っていうことも思いました。だからこそ、もっと個人として個性を輝かせないといけないと思ったし。
平澤 創
愛ちゃんのステージを見ていると、ものすごく自然だから、「ああ、こういう人って普通に僕たちの周りに自然にいるんだな」って思うのね。「大西賢示です」って言っているのは、僕からしたら、テレビに出るために本当はやりたくないのにネタにしているんだろうなって思っているんだけど。
はるな
まあ、そうやね。創ちゃんはもう私の気持ちを本当に全部知っているから。ありがとうね。
平澤 創
本当は法律上も女性に変えたいと思っているはずなんやけど。
はるな
ああ、すごい、そこ言います?そこいうと、すごく深くなる。確かに日本のテレビ業界は、正直まだ「大西賢示です」と言って笑ってもらうところがないと難しかった。バラエティ番組に一人で出て行って、男であることも出したし、ニューハーフのショーパブのエンターテインメントをやって、「面白いな」「こういう人たちなんだ」ってわかってもらうというか、その入口を広げようとしてきた。女になりすぎると、もう見てくれなくなるとも思ったし、注目されないと思った。それが、私が出始めた頃の芸能界でのLGBTの立ち位置だったと思うから。
平澤 創
そう、わかるわかる。そんな気がしてた。
はるな
ありがとうございます。
平澤 創
今日はその話はしていただかないといけないかな、と。
はるな
私が心の奥に封じ込めてきたことを言わはるなんて、ちょっとすごいわ。
平澤 創
LGBTのこと、いろいろな切り口で話しているけど、愛ちゃんにそういうストレートに聞く人はあまりいないと思う。
はるな
ちょっと泣いたらあかんけど、涙が出てきた。でも本当やね。なんかすいません。こんなに泣かされるとは思わなかったけど。
平澤 創
でも本音は、本当の女の子になりたいはずなんだろうけど、そうして残しているところが、僕はある意味、アンバサダーだと思っていて、そういう姿を見て、逆に勇気付けられる人たちもいると僕は思っている。愛ちゃんの中では、葛藤もあるんだろうけど。
はるな愛さん×株式会社フェイス代表取締役社長 平澤 創
はるな
すごいところを見てるなって思う。
平澤 創
まあ、結構、付き合いも長くなっているし。
はるな
まずは切り拓いて、新聞のラジオ・テレビ欄に載る演者に入って、面白いとか、みんなにいじってもらえるのが大事。私が「完全に女性になっているので、絶対に男とか言わないでください」とかいったら、共演者の方、すごい気を使って番組が面白くなくなると思うんですよね。
平澤 創
そうだね。
はるな
だから、いじってもらっている立ち位置が一番、気も楽だし、見ていても面白いし、楽しんでもらえる。でも、日本のLGBTへの意識の浸透がもっと進んでいたら、女優さんでも歌手でも、完全な女性としての仕事を選ぶニューハーフの子がいてもいいと思うし、そういう状況だったら、私もまたやりたい道も変わっていたとも思う。でも、やっぱり私がこうして世の中に出してもらえたのは、当時の日本のLGBTへの理解や気持ちの度合いと、私の芸がピタっとハマったからなんだと思います。
平澤 創
うん。
はるな
状況が違っていたら、私はこうして出ていなかったと思うし。「ちょっと男に戻ってみたい」とかリップサービスで言うこともありますけど、完全に女になったら、多分、自分も苦しい。それが現実だと思うんですよね。
平澤 創
あと5年くらいすると、もっともっとLGBTが市民権を得て、日本でも普通になってくると思うんだけど、振り返った時に、その歴史の中で、やっぱり愛ちゃんは市民権を得るためにすごい貢献した、みんなの気持ちを救ってあげた、そういう人になるんじゃないかなと思っています。
はるな
ありがとうございます。そんな偉そうな気持ちは全然ないんです。でもやっぱりテレビに出続けないと発信もできないので、表に出続けられるように必死に頑張ってる。あとは自分に嘘はつかないということ。過大な演出はあっても嘘だけはつかない。自分も小さい時にテレビを見て、その楽しい世界のおかげで嫌なことを全部忘れられた。貧乏したり、悩んだりしてた時もテレビが夢を与えてくれた。それと同じように何か悩んでいる人たちが、今日、私が出ているテレビを見て、「ああ、頑張ろう」とか、何でもいいからそう思ってもらえるようにという気持ちだけはずっと持っている。だから、そういう風に繋がったら嬉しいなって思っています。
世界に触れて、見えてきた日本の文化
平澤 創
今でもすごく覚えているのは、愛ちゃんがブレイクしてからしばらくして、「いつまで続くかわからへんから、今度は「24時間テレビ」で走るねん」って言った時のこと。
はるな
(笑)。
平澤 創
「そこまでするんだ」って思ったけど、多分、あの頃の気持ちと今、少し違うんじゃないかな。あの頃は来る仕事を何でも受けて必死だったけど、今はいろいろなものが見えてきてるんじゃない?
はるな
そうですね。「24時間テレビ」の頃は突っ走ってた。周りが突っ走るレールをどんどん敷いてくれて、すごいスピードで走るしかなかったんだけど、だんだんテレビ局が敷いてくれるペースもゆっくりになってきた。なんだろうな、坂道を登るようなレールを敷き出だしたというか。それは本当に次のステップアップへのチャレンジ。それと、私が今までお茶の間に向けて「私がLGBT全部の代表じゃないからね、一部の代表ではあるんだけど」って思っていたところに、新しいオネエキャラの人たち、いろんなカテゴリーの人たちがたくさん出てきました。その中で、私は私のやりたいものをもっと見つけたいと思えたんです。だから、今は自分のペースでしっかりと番組にも向き合えている、すごくいい時間を過ごしています。
はるな愛さん×株式会社フェイス代表取締役社長 平澤 創
平澤 創
世界にも目を向けているよね。NY(ニューヨーク)に行き始めたのには、何かきっかけがあったの?
はるな
それはお仕事のスピードが落ち着いてきて、皆さん、私のこと知ってくれたけど、これから「はるな愛、何ができんねん」ってなった時、自分には何が残るだろう、エア芸以外に、自分もしっかり本物の何かを見つけたいと思ったのがきっかけなの。番組のレギュラーとレギュラーの間に時間をもらって、毎月1週間NYに行って、本場のヴォイストレーニングやダンスを習い始めたのがスタート。
平澤 創
なるほど。そうしたNYでの経験もあって、今後はどんなことをやっていきたいとかイメージはある?
はるな
ミス・インターナショナル・クイーンの1回目の挑戦の時、食事会の席で急にネパールの子が泣き出したのね。市役所に勤めていた子だったんだけど、「私たちの国では、こんな風にレストランでご飯食べていたら、石も投げられるし、みんなからすごい罵声や非難を浴びる。こんな自由に振る舞ったことはない。もう国に帰るのが嫌だ」って。
平澤 創
そんなことがあるの。
はるな
そんなに辛い思いをしながら来たんだと知って。宗教上の問題もあって理解のない国がいっぱいある中で、私が日本で初めてテレビに出て、理解のない世代の人たちに心開いてもらえたように、世界に向けて動いたら、また何かが変わるんじゃないかなって思って。
平澤 創
ああ、なるほど。
はるな
だからもっと世界に向けて行動したいと思って、NYをはじめ、海外に出て行った。向こうのエンターテインメント、ヒップホップも、R&Bの歌も、もちろんバレエもレッスンを組んで洋風なものもいろいろ習って、ミュージカルもいっぱい見て刺激も受けました。でもある時、知り合いがNYでお寿司屋をオープンするというので、自分で着物をパッと着て行ったの。そうしたら、本当に数え切れないくらい、道ゆく人が「ちょっと写真撮らせてください」って声かけてくれて。いつものリボンのドレスを着て、誰か声かけてくれないかなってウロウロしていた時は、全然だったのに。その時に、日本には日本のよさがあると思って、日本に戻ってもう一回、津軽三味線や日舞を習い直したんです。
平澤 創
なるほどね。
はるな
エンターテインメントは、自分たちの体型や身体能力に合ったものがあって、だからこそ日本人ができるエンターテインメントがあるはず、日本から世界に向けて発信できるものがあるはずってすごく思った。もちろん、これからも海外に行き続けるけど、どうしてもっと日本にいる時間を大切にできなかったのかなっていう思いもあって。
平澤 創
それよくわかる。それは、今、僕らがやろうとしている話にも関わってくる。愛ちゃんは世界に数多く行っているから、あまり気づかないかもしれないけれど、夜のエンターテインメントとか、舞台などって、海外に行って楽しめばいいと思っていたわけ。
はるな
うんうん。海外いっぱいあるもんね。
平澤 創
そう、いっぱいあるから。でもちょっと立ち止まって考えてみたら、なんで日本にないの?と。いろいろ法律の問題もあったので、僕らも働きかけて法律が改正された。
はるな
すごいね。
平澤 創
最近、ナイトタイムエコノミーっていう言葉、聞くでしょ。例えば、NYのオフブロードウェイとか遅い時間からやっている。なぜそんなことができるかって言ったら、NYの地下鉄は終電がない。
はるな
確かに。
平澤 創
1970年代には犯罪の温床と言われていたNYの地下鉄は、夜中も走らせたことによって、反対に人の出入りが増え、人の目が行き届くようになって、むしろ犯罪は抑制されているんだよ。あと、ルーフトップバーとか。
はるな
うーん!タイにも30階、40階のところにある。「え?これ壁とかないの?」「誰かがフォークとかナイフとか落としたらどうなるの」って思うけど。しっかりあるもんね。
平澤 創
NYにもあるけど、日本だけだめなんです。
はるな
どうして?
平澤 創
日本は事なかれ主義なので、高層マンションにはバルコニーはあるけど、不特定多数の人が集まるところにはバルコニーはないでしょ。これは規制の問題なんだよね。だけど、法律もどんどん変えていって、まず土壌を作っていく必要がある。その上で、僕らは「何を発信できるか」を考えないといけない。
はるな
なるほど。
平澤 創
ラスベガスにもよく行くの?
はるな
行きます。好き、大好き。
平澤 創
今、日本ではIR(カジノを含む統合型リゾート)の法律がどうなるかって言われているけど、ラスベガスのカジノの売り上げは、だいたい全体の25%なんだよ。
はるな
売り上げが?
平澤 創
そう。少ないでしょ。
はるな
うん、意外。
平澤 創
じゃあ75%は何かっていったら、ショーと食事、ホテル。だからIR、統合型リゾートっていうの。日本ではギャンブルのことばかり言われているけど、僕がやっぱり気にするのは、日本は世界に何を見せられるか?っていうこと。愛ちゃんが言うように、日本人として生まれた僕たちが日本の文化を世界が見るエンターテインメントとして発信できたら面白くなると思っています。
はるな愛さん×株式会社フェイス代表取締役社長 平澤 創
世界に発信できる日本の面白いエンターテインメントを
平澤 創
日本のエンターテインメントを世界に発信するために、例えばどんな場所を日本に作っていくのがいいですか。
はるな
海外のお客様、もちろん日本のお客さんも、ショー好きなお客さんに来てもらえるような、ゆっくりお洒落にお酒を飲む場所が理想です。NYにあるエンターテインメントショーがある大人の高級クラブ「ザ・ボックス」の雰囲気というか、「素敵!」っていう要素も大事ですね。
平澤 創
そうだね。大人の社交場。
はるな
本当にいろんな方に来ていただいて、「よかったね。また、あそこへ行こうよ」と言われる場所がいいですね。
はるな愛さん×株式会社フェイス代表取締役社長 平澤 創
平澤 創
リピーターが来るかどうかはすごく重要だよね。例えば、パリのキャバレー、リドとかムーラン・ルージュって、完全にフォーマット化されている。
はるな
うん、そうだよね。
平澤 創
「1回、見たい!」っていう人を連れていくけど、やっぱり「もう1回行こう」にならないからリピーターはない。でも逆に、パリに行くと必ず行く、それはすごいと思う。
はるな
はい。アイススケートリンクが出て来たり、飛行機がバーっと降りたり。あの狭いところに、どこに隠していたの?ってワクワクする。でもそんなに一方的なものを求めていないという人もいると思うんですよ。
平澤 創
そうそう。今日行ってみたら、また違うことやっているかもしれない、そういう期待感がある方が面白いかなって思う。あと、インタラクティブは本当にすごく重要だよね。ラスベガスもすごく参加型が多いでしょ。
はるな
多い。
平澤 創
ああいう方が、絶対に面白い。ズーマニアとか、ちょっと大人のショー。ああいうの面白いでしょ。
はるな
面白いよね!
平澤 創
愛ちゃんのショーは、これまで完全インタラクティブ(笑)。
はるな
あはは。お客さんにも参加してもらいたいっていう思いが強くて。いつもね、最後には創ちゃんも気がついたら、キラキラの服着せられて、羽を背負わされて、踊らされて、そんな状態になっている。
平澤 創
全部、愛ちゃんが考えるの?
はるな
うん。私もショーに救われたこと何度もあって、お客さんも踊ったら「全部、忘れるんちゃうかな」と思って。自分もそうだけど、「俺はちょっと恥ずかしい」っていう人ほど、殻を破った時に、これまで味わったことがない快感、開放感を感じてもらえる。踊ったなーって。だから、みんなにいろいろカツラとか羽とかを配って、付けてもらったりしているの。
平澤 創
この間、愛ちゃんが被り物させた人、実は有名な外科医の先生だったんだよ。
はるな
え?そうなんですか。
平澤 創
絶対にそういうことしなさそうな人なのに一番喜んでいた。
はるな
(笑)。
平澤 創
確かに振られた人、殻破って、もれなくはじけてるよね。絶対に被り物をやりそうにない人にどうやって振るの?
はるな
やっぱりお客さんとの距離がカウンター越し30cmっていう最初のお店で培った経験かな。どんなに肩書きのある方でも、お店に来たら一人の人で、悩み事もポロっというし、私と「一緒やん」って。ある時、お客さんをステージに上げて、「今から、私の曲で知っていると思いますが、代表曲歌ってください。・・・。なんで知らんねん!」みたいなネタをやってたんです。その日はおじさんに上がってもらったら喜ばれるなっていうシーンで、実際に上げて、みんな笑って、楽しかった。コンサート終わって聞いたら、その方有名な会社の社長さんだったの。そういうやりそうもない人ほど、「振ってくれるな」「振ったらあかんで」みたいなオーラをずっと出してるんだけど、振られて「じゃあ、やります」ってなる時、ちょっと嬉しそうだったりするし、それが周りの人をすごく楽しませるし。
平澤 創
ショーはやっぱりインタラクティブ、双方向であるべきだからね。そういうのは絶対に面白い。
はるな愛さん×株式会社フェイス代表取締役社長 平澤 創
はるな
ありがとうございます。
日本発で、いろいろな愛の形を世界に発信したい。
平澤 創
では最後に、愛ちゃんが今後取り組んでいきたいことを聞かせてもらえると嬉しいな。
はるな
LGBTについて、もっとみんなに理解してもらうためには、何をすればいいかなって考えています。LGBTって4文字だけど、自分の性がどちらかわからないとかもっともっと「ハテナ」の人たちもいて、アルファベット4文字だけには入りきらない、本当はもっと複雑なんです。でもそれって、結局、一人一人の個性はみんな違って、そこにグラデーションがあるということなんですよね。だから、LGBTだけじゃなくて、障害がある人、ない人、足が短い人、手が短い人、そばにいる人の個性をしっかり知るということ、いろんな人たちがいるということをお互いに知るっていうのは、本当はシンプルなことのはずですよね。
平澤 創
理解を促すのに、オリンピックに何かの形でLGBTが出せたらいいのにね。
はるな
やってほしい。開会式でやりたい演出があるの。いろんな愛の形があると思うんです。家族の愛、外国人との愛、白人さんと黒人さんとの愛、同性同士の愛、いろんな人たちの愛の表現として、いびつな形のハートから移動していろんな形を経て、それがあるポジションになると、幸せの鐘の合図で、ハグとか、キスとか、お互いに愛の形を表現するっていう。オリンピック、パラリンピックの開会式を同時にやりたいと思っています。だってパラリンピックも分ける必要もない。それを日本発として、世界に発信できたら素晴らしいなって。そうすると日本も先端を行くと思うんですけどね。
平澤 創
それができると、今日話したような、すべての垣根がなくなるような気がする。
はるな
うん。本当に。
平澤 創
そこまでできると、愛ちゃんのすべての仕事もいよいよ集大成という感じだね。本日はお忙しいところ、本当にありがとうございました。
はるな愛さん×株式会社フェイス代表取締役社長 平澤 創
はるな愛さん×株式会社フェイス代表取締役社長 平澤 創

はるな愛さんプロフィール

大阪府出身。物心ついた頃からのアイドル好きで、1985年、全日本ちびっこ歌まね大賞で優勝。中学2年生の時、華やかなニューハーフステージを見て憧れ、17歳でショー世界に飛び込む。1989年、「チャンス」で歌手デビュー。1995年、性別適合手術。2003年、三軒茶屋に「Bar ANGEL NEST」をオープン。2007年、お店で披露していた口パク芸の「エアあやや」がブレイク。テレビ出演にあたり、より幅広い人に理解してもらい、性別関係なく、空間を楽しんでもらえる接客を学ぶ触れ合いの場として、お好み焼き「A.garden」をオープン。2009年、Miss International Queen 2009(ニューハーフミスコン世界大会)で優勝。2010年、24時間テレビチャリティマラソンを完走。Miss International Queen 2009で感じたマイノリティへの理解を世界レベルで広げることを視野に入れた活動を継続して行っている。