飯森範親さん × 平澤創 [対談]
飯森範親さん × 平澤創 [対談]

フェイス25周年記念Webサイトスペシャル対談企画6

~山形市・山形テルサホールにて~『生きている楽譜と生身の人間が対話する中で、
人間の感性というものが働いて、動かされて、
そして音楽になる。』
飯森範親さん×株式会社フェイス代表取締役社長 平澤 創

プロデュース力を強く感じた「山響」の演奏会。
平澤 創(以後平澤)
今日はお忙しいところ、フェイス25周年記念スペシャル対談にお時間を割いていただきありがとうございます。
飯森範親さん(以後飯森)
こちらこそ、山形まで足をお運びいただきありがとうございます。昨晩、山響(山形交響楽団)の定期演奏会を聴いていただきましたけど、全体的な取り組みなどいかがでしたか。
平澤
仕事柄、多くの演奏会を聴きますが、山響さんの演奏、まず驚きです。極端な例で言えば、ベルリン・フィル(ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団)など最高峰の奏者による演奏はもう波を打っているというか、これはこれでいい息遣いですが、山響さんの演奏を聴いて感じたのは、「オーケストラが一つの生き物みたいになっている」ということです。すごくいい意味で一体化していて、アンサンブルとして、こんなにまとまっているオケが山形にあるんだとすごく驚きました。
飯森
本当に?嬉しいですね。
平澤
それと昨晩の演目、やはり飯森さんのプロデュース力を感じさせられました。まず武満徹の「弦楽のためのレクイエム」では、弦楽器のみの編成で始まり、次に一転してブルックナーの管(楽器)と合唱。まず弦で一体化し、続いて、管だけの編成であれほどのまとまった一体感を出すのはすごい。管の奏者たちにもすごく緊張感も高まる。こうした演目にされた由来を伺ってもいいですか。
飯森
まず、最後に演奏したブラームスのヴァイオリンコンチェルト「ヴァイオリン協奏曲」ありきだったんです。2017年のシーズン、山響では、ブラームスの交響曲を全曲演奏するプロジェクトを進めて来まして、そのブラームスからヴァイオリンコンチェルトを選びました。そして毎年行っている、山響アマデウスコアとの合唱作品は、ブルックナーの宗教曲をやっていこうということになりまして。ブルックナーの交響曲は、第1番から第7番まで、すでにレコーディングが終わっているのですが、第8番、第9番は、シンフォニー・オーケストラとしては最小規模な山響の編成だとなかなか演奏機会がないであろうと言うことで、この先は宗教曲だろうな、と。
平澤
ああ、なるほどね。
飯森
それで、「ミサ曲第2番」が選ばれた。それから「ミサ曲第2番は、管楽器だけ、じゃあ、最初は弦楽器だけだね」という発想で武満徹先生の「弦楽のためのレクイエム」を選びました。例えば、チャイコフスキーの「弦楽セレナーデ」やモーツァルトの「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」など、他にも弦楽器だけの曲はあるのですが。
平澤
それだとよくある構成になりますからね。
飯森
そう、それらはよく演奏される曲だし、今シーズンは1年を通して、現代作曲家の方々の作品の演奏があまり多くなかったので、1曲目にそうした作品を入れたんです。
飯森範親さん×株式会社フェイス代表取締役社長 平澤 創
平澤
なるほどね。
飯森
ヴァイオリンコンチェルトは、堀米ゆず子さんにソリストとして出演してもらいました。堀米さんは、山形銀行の長谷川吉茂頭取の親戚でいらっしゃって、山形と所縁があるんですよ。
平澤
へぇ。それは初めて知りました。
飯森
昨晩は、そういうプログラムでした。
少数だからこそ精鋭に。交流が意識を高める。
平澤
これはおそらく、さまざまな世界に通じる話だと思いますが、実は企業って人が多くてもダメなんですよね。最近、コンプライアンスの問題とか取り沙汰されていますが、大企業、そして歴史がある企業、もうそれだけで会社がおかしくなる事例、いっぱいあるじゃないですか。
飯森
ありますね。
平澤
山響さんの取り組みに触れていると、いわゆる「少数精鋭」という言葉が浮かびます。少数精鋭とは、精鋭な人たちを少数集めるのではなく、少数だからこそ精鋭部隊になるということで、そうしたことをすごく感じました。
飯森
嬉しい!それ!僕も最初この山形に来たとき、それを感じて、一番大事にしてきたコンセプトの一つなんですよ。小さなオーケストラだからこそできることがあるだろうって。
平澤
大編成であれば、確かにレパートリーも豊富だけれど、少数精鋭でやるからこそ、一体化、ひとつになる力が強いのかなと思ったんです。
飯森
嬉しいです。
平澤
もう一つ。昨晩、私たちが外に出ようとしたら、もう楽団員の方々が会場の出口に並んでいたじゃないですか。あれにも驚きました。お芝居などでは客出しの際、出口に演者が集まってお客様をお見送りする光景はよく見られますが、クラシックコンサートでその光景に遭遇したことは、僕の記憶にはないんです。
飯森
最近は、首都圏ではないオーケストラでやるところが出始めているんですよ。ただ山響は、もう昔からやっていて。
平澤
ほう。
飯森
山響では演奏会が終わった後、お客様と触れ合う「交流会」が必ず開かれます。これは僕が常任指揮者に就任する前からある取り組みなんですけど、その延長線でズラーっと楽団員が並んでお見送りをする、そういうことを楽団員主導で積極的にやってくれているんですよね。
平澤
クラシックは、何か上から目線というか、敷居が高すぎるところがあると思うんですよ。「本当に行っていいのかどうかわからない」といった怖さ、行きにくさを感じている方が多い。
飯森
うん。
平澤
でも、山響さんのような触れ合いがあると、演奏家一人ひとりにファンがつくことにもなるし、奏者とお客さまの距離が縮まりますよね。
飯森
本当にその通りです。例えば、スポーツ選手などは、個々のプレーヤーにスポットが当たるけれど、オーケストラにはなかなかそういう機会がない。けれど、そうして触れ合うことで、「この間、この演奏家が声をかけてくれて嬉しかった。次も行ってみようかな」というきっかけにもなるとも思うし、会話をすると、お客様が本当に楽しんでくれたのかどうかも感じられますしね。
平澤
普通は演奏が終わったら、とっとと着替えて帰ってしまうじゃないですか。
飯森
そう。指揮者より早いから(笑)。
平澤
そうそう(笑)。でもファン交流があると、オケの団員も毎回「見られている」という意識が養われる。
飯森
その通りです。団員が多いとその他大勢になってしまうけれど、少ないということは、それだけ一人ひとりが目につきやすいし、いつも見られているという感覚が間違いなくあると思うんですよね。そうして、舞台上でとにかくいいパフォーマンスをしようという意識とモチベーションが一人ひとりの中に生まれて、それが自然と積み重なって、ステキな演奏につながっているのかな、と。
平澤
そう、その意識が演奏に影響している、現れているという気がします。
この取り組みは、ある意味、オーケストラのあるべき姿のモデルケースだと思いました。
飯森
政令指定都市でもない人口25万人くらいの地方都市で、プロのオーケストラ、それも歩合制でなく、給料制のオーケストラが存在しているのは、日本でもここだけです。けれど、50名足らずの編成では、東京と同じことは絶対にできない。そうであれば何ができるのか、自分たちでやれる範囲のことをまずやろうじゃないか、ということで、山響の規模で演奏するのに最も適したモーツァルトの交響曲全50数曲すべてを演奏する「アマデウスへの旅」シリーズを始めたんです。
平澤
なるほど、素晴らしい取り組みですね。
飯森
そういう意味でも、山響の取り組みは、こうした中規模な地方都市のオーケストラとしては、あるべき姿なのかな、と。ただ、これは、首都圏や大阪のオーケストラにそのまま当てはまるわけではないのでね。基本的なスタンスとしては真似してもいいのかなとは思いますが。
平澤
本当に思いました。芸術作品の鑑賞に変わりはないけれど、まずは体験していただいてその敷居を下げないと、芸術と触れ合う機会がますます少なくなってしまう。そういう意味でも、僕は山響さんの取り組みは、本当に、お世辞抜きで素晴らしいと思います。
飯森
本当に?
平澤
本当に感心したんですよ。実は私、山形に来るのが初めてだったので、演奏会の前に大正時代初期に建てられたかつての旧山形県庁舎、議事堂で、今は山形県郷土館である「文翔館」に行ったんですね。70歳代の女性のボランティアの方に館内をご案内いただいたんですが、「ここでは室内楽の演奏会もよく行われるんですよ」と紹介されたんです。
飯森範親さん×株式会社フェイス代表取締役社長 平澤 創
飯森
議場ホールですね。僕たち山響は練習場としても使わせていただいてますよ。
平澤
続けて、山響さんの話をしてきてくださった。
飯森
平澤さんが山響の関係で来た、とか話を振ったんじゃなくて?
平澤
いや、一切言っていない。私たちが誰だかわからない状況ですよ。
飯森
本当に?
平澤
ええ。先方から山響さんの話をしてくれたので、これは面白いなと思って、「山響さんってどうですか」って尋ねたら、「山響さん、もう山形にとっての誇りです!」っておっしゃった。
飯森
そうなんですか!
平澤
さらに「飯森さんには、山響さんをここまで育てていただいて」って。
飯森
あはははは(笑)。
平澤
「確かに山形には蔵王も温泉も観光の名所もたくさんあるけれど、山形市内は誇れるものが少ない中で、今やもう山形交響楽団さんは誇りなんですよ」っておっしゃっていた。すごく自然に話されていたので、交流を通じて距離感が近くなっているんだな、市民の方一人ひとりに浸透していっているんだな、と実感しました。
飯森
それは本当に嬉しいですね。
平澤
別れ際に、「今夜の演奏会にも行くんですよ」っておっしゃるから、「実は私たちも行きます」とお伝えしたら、先方が探してくださって会場でもお会いしました。飯森さんにも声をかけていらっしゃいましたよ。もう本当にファンなんだな、そういう形の取り組みって素晴らしいな、と。
飯森
ありがとうございます。
価値は押し付けられるものではない。
平澤
飯森さんとの出逢いは、今から10年ほど前、サントリーホールで行った「ちょっと気ままにクラシック」でしたよね。
飯森
そうですね。平澤さんが副理事長を務めてくださっている東京交響楽団の演奏会で、僕がその時の指揮者だったから、というたまたまの出逢いでしたよね。
平澤
そう。本当にたまたまです。この演奏会は、実は山響さんの取り組みと近しいところがあって、それは「どうしたらクラシックの敷居を下げられるか」をテーマにしていたんです。敷居を下げるための導入部分、いわゆるつまみ食いのクラシックコンサート、子ども向けには多いけど、大人向けがあまりない。
飯森
極端に少ないですね。
平澤
ですから昨晩また、やはり「大人のための入門編をもっともっと作らないと」とさらに思いましたね。
飯森
ボレロとか、華やかな作品ばかりではなく、それほどお金をかけなくてもできる名曲はいっぱいあるんですよ。また、やりましょうよ。
平澤
「ちょっとオシャレしてクラシックを聴きに行きましょう」という、大人の入門編を作ってシリーズ化したいですね。もう音楽玉手箱みたいに、いろんなものが出てくるようなコンサート。それで、「このタイトルがつくコンサートは萎縮せずに楽しめる」というブランディングをする。すると、そこは本当に気楽に楽しめる場になる。
飯森
音楽玉手箱、いいですね。
平澤
うん。イメージとしてね。シリーズ化が大事なのは、単発での開催だと、それで終わってしまうから。さらに本編の演奏会に派生していってもらわないと。
飯森
テーマを持ってね。例えば、モーツァルトにまつわる人たちの曲を集めることで、結構、面白いプログラムができますよ。実は先日も、銀座のヤマハホール主催でドビュッシー没後100年の今年、ドビュッシーに関わるレクチャーのコンサートを僕が指揮をするのではなく、話しをして欲しいという依頼をいただいたんです。そこで、ドビュッシーと関係する音楽だけでなくて、絵や文学なども総合的に捉えて、2時間のレクチャーコンサートを作ったんです。
平澤
それは面白い。
飯森
ドビュッシーと絵画は切っても切れないし、マラルメをはじめ詩人たちとの関わりも外せない。ただ、その関わりを話すだけでは面白くないので、一歩踏み込んで、「ドビュッシーは印象派のレッテルを貼られている。けれどドビュッシー自身は、印象派という言葉を非常に嫌っていた」と。
平澤
へぇ。そうなんですか。
飯森
本人は象徴派の作曲家だと思われたかったんです。それで舞台上にいくつか絵画も飾って、「ドビュッシーの音楽は、印象派なのか、象徴派なのか」という疑問を投げかけるプログラムにしてね。イケメンで実力派ピアニストの實川風くんにピアノ曲を弾いてもらいました。詩や絵にインスパイヤされた曲もあるし、逆に絵になった曲もある。「この曲は象徴派の作家に触発されて作曲されているから、ドビュッシーとしても印象派って言われるのに違和感があるんじゃないか」とか話ながらね。
飯森範親さん×株式会社フェイス代表取締役社長 平澤 創
平澤
なるほど、なるほど。
飯森
結論は、印象派でも象徴派でも、どっちでもいいんじゃないっていう話(笑)。
平澤
(笑)。芸術って、いわゆる評論家たちが後付けで、体系化して分類してしまう傾向があるから。
飯森
そう。いや、そればっかりですね。だから、それはどうだっていいんじゃないかって。
平澤
聴く方が感じればいい。
飯森
そう、その通りなんですよ。聴く方がこの曲が印象派と感じればそれでもいいし、写実的で具体的に風景が思い浮かぶなというのなら象徴派でいい。だから、是非、聴く側の感性も敏感でいてくださいという話で締めて、最後、僕が實川くんとピアノを弾くという連弾で終わりました(笑)。
平澤
(笑)。私のドビュッシーはね、例えば、パリにあるモネの美術館。
飯森
マルモッタン美術館ですね。
平澤
ああいう絵を見ると、ドビュッシーっぽいと感じるんですけどね。
飯森
ドビュッシーっぽいよね。
平澤
ですよね。
飯森
モネが影響を与えたのは事実なんですよ。
平澤
なるほど。本当に受け止め方次第ですよね。今のような切り口も面白いし、例えば、作曲家の私生活、どういった死に方をしているか、とかね。
飯森
そう。モーツァルトの謎に迫ると面白いですよ(笑)。
平澤
だいたい成功している芸術家は、ちょっと変わった人が多いから。そういう意味でいうと、飯森さんもね、その部類に入る(笑)。
飯森
(笑)。名曲「ボレロ」を作曲したモーリス・ラヴェルは晩年、記憶障害になってしまったんだけれど、ある日、彼の名作「亡き王女のためのパヴァーヌ」が演奏されているのを聴いて、「美しい曲だ、誰が書いたのだろう」って言ったんですよ。
平澤
皮肉ですね。
飯森
ブラームスのように一生独身のまま、生涯親交を保ち続けた女性、クララ・シューマン(恩師シューマンの未亡人)が亡くなった翌年に、後を追うように死んでしまう、そういう数奇な一生を終えた作曲家もいるし、マーラーのように18歳年下の妻の不倫に振り回されて、強迫症状と神経症状に悩まされて精神的におかしくなっちゃった作曲家もいる。
平澤
今、フレーズが出た不倫に関していうと、今、日本のメディアはものすごく大騒ぎしますよね。
飯森
ねぇ。
平澤
例えば、かつて千円札の肖像にも用いられていた夏目漱石、彼が描く小説の題材って、結構、三角関係、不倫ネタが多かったわけですよ。
飯森
多いね。さすがですね。
平澤
もちろん、不倫を肯定するわけではないけれど、今、飯森さんがおっしゃった作曲家の人生もそうだし、あそこまで否定してしまったら、どんな音楽も、どんな文学も生まれなかったよ、とそういう話になると思うんですよね。
飯森
そうでしょ。
平澤
先ほどのドビュッシーの話もそうだけれど、倫理観の問題は、受け手側がそれぞれ感じることであって。
飯森
無理やりメディアから押し付けられることじゃない。
平澤
そうなんですよ。これは悪だ、とか、絶対的な価値観を押し付けることはない、と僕は思うんですけどね。
飯森
不倫を肯定しているわけではなくてね。
平澤
そうです。文学にしても、音楽にしても、そういった人生もあって、それらを通して僕ら自身が何を感じるか、多分、芸術ってそういったことなんじゃないかな、って。
飯森
本当にそうですよね。昨晩も聴いていただいたけど、僕は、演奏会の開演前に曲目やエピソードなどを紹介する「プレ・コンサート・トーク」をしていますが、これをものすごく否定する評論家もいるんです。演奏会について「これはこういうものだ」「こうあるべきだ」というラベル、レッテル張りの一つだと思うんですよね。だから、メディアの価値観の押し付け、一歩間違うと歪んでしまう報道の仕方、それと同じようなことがクラシックの音楽会にも起こっているように感じています。
音楽そのものは変わらない。
でも、音楽の伝え方は変わっていく。
平澤
「クラシックとの出会いの敷居を下げましょう」という話に戻りますが、これまで音楽メディアの主流だったCDやテレビの優位性、これが崩壊し始めています。日本は世界で一番CDが売れている国ですけど。
飯森
らしいですよね、まだね。
平澤
まだね。それからテレビ。日本はテレビもまだ強いけれど、世界的に見ると、実は今年、いわゆる広告・宣伝費の総額は、世界ではインターネットがテレビを超えるんです。
飯森
インターネットが超えたんですか。
平澤
すなわち、テレビはメディアとして、マジョリティからマイノリティになる、今年はその元年になります。まだまだリビングの中心にテレビが置かれている日本でも、すでに25歳未満の単身世帯のほぼ5人に1人はテレビを持ってないんですよ。
飯森
5人に1人?
平澤
そう。インターネットが主流になっていく中で、音楽の伝え方もこれまでと変えていかないといけない。これが私のテーマでもあり、フェイス・グループのテーマでもあります。音楽そのものは変わらない。でもこれからは、伝え方は今までとは変わってくる。
飯森
CDじゃないってことね。
平澤
そう。テレビでもないってことですよ。
飯森
なるほど。
平澤
まだ10年くらいは、メディア価値は持つだろうけれど、10年後では遅いので、もう考えていかなくちゃいけない。一方、今、世界的にもマーケットがより伸びているのはライブです。
飯森
それは、いろんなジャンルで?
平澤
そう、ジャンルを問わず。全てがネット経由になってくると、むしろライブに行きたくなる。いわゆるフェス系のライブも非常に伸びています。
飯森
うん。
平澤
クラシックの演奏会、ライブに行きたいという衝動も大きくなっている今、ここで敷居を下げていかないと、クラシックだけが取り残される気がするんです。メディアの大きなシフトが起きている、今までのやり方が根底から覆っているということは、実は、何でもあり、何をしても面白い時代なんですよ。
飯森
なるほどね。行動に移しませんか(笑)。
平澤
飯森さんのプロデュース力と組み合わせてね。昨日、タブレット端末で楽譜をめくって演奏するという話がありましたけど、僕は音楽そのものを作り出すのは、オリジナルの形でやるべきだと思っていて、そうしたことには否定派なんです。
飯森
僕も平澤さんと全く同意見です。アナログの紙の世界、楽譜の世界でやってきましたけど、楽譜って生きているんですよ。生きている楽譜と我々生身の人間が対話をする中で、人間の感性というものが働き、動かされて、そして音楽になる。それはやっぱり動かせないと思うんです。けれど、それ以外のところ、例えば、これまで当たり前だったチラシを作って、配って、チケットを買ってもらってというような時代はもう終わっていきますよね。
平澤
おっしゃる通りです。音楽そのものは変わらない、でも伝えていく手段はどんどん変えていかないといけないということですね。
身近にクラシックに触れてもらう
ためには多様性も大切。
平澤
昨年、ウィーンに久しぶりに行って驚いたことがあって。ウィーンには、遊興税という税金があるのだけど、クラシックコンサートは遊興税が無税で、コンサート事業に対しても、税金がかからない。あと、クラブ、ディスコ。こういった施設も条件付きですけど、遊興税が無税になっているんです。
飯森範親さん×株式会社フェイス代表取締役社長 平澤 創
飯森
ウィーンが?画期的ですね。
平澤
画期的ですよね。日本は2020年までに年間4,000万人の訪日観光客を狙っている状況ですけど、ベルリンは一都市で年間3,000万人が来るんですよ。そのうちの約3割がクラブツーリズム、いわゆるナイトタイム(エコノミー)なんです。
飯森
なるほど。
平澤
ヨーロッパを見てもどんどん変わっているし、クラシックの楽しみ方も。
飯森
変わってきている。
平澤
そう。日本のクラシックコンサートは、なぜ6時半や7時開演なのかな、という話もある。この時間だと、コンサートを楽しんだ後、食事できるレストランはないし、逆に食事してから聴きにいくこともできない。
飯森
7時というのは、僕も中途半端だと思います。ヨーロッパは、基本的に開演は8時ですよね。
平澤
ブロードウェイは、仕事終わりの日常でも気軽に行ける9時開演もある。敷居を下げるには、そういう多様性も必要かな、と。
飯森
食事して聴いて、また飲みに行く人は行く。帰る人は帰る。
平澤
そう。確かにニューヨークの地下鉄は24時間走っていて、終電がない。そういう交通事情を含めて、街をあげて文化都市にしていく取り組みも必要だけれど、それは長期的なテーマになるので。
飯森
やれることをやらないとね。そうそう、スペインの演奏会は夜10時からです。あれにはびっくりしましたけどね。
平澤
イビザ島もそう。夜中じゅう楽しめる島になっています。ラスベガスもそうですよね。ラスベガスって、カジノのイメージが強いと思いますけど、実はカジノの売り上げって全体の4割以下です。
飯森
あとは?
平澤
エンターテインメント、ホテル、飲食。だから、統合型リゾート、IR(Integrated Resort)っていうんです。
飯森
なるほどね。
平澤
もちろんカジノを楽しむ人もいるけれど、そうではないところでどんどん伸びているんです。だから繰り返しになりますけど、クラシックの面白さ、深さに気軽に触れてもらえる機会をどんどん作って行かないと。
飯森
クラシックに気軽に触れてもらう機会と言えば、東京交響楽団の子ども定期演奏会、今年度、全4回の最終回は、オーディションで選ばれた子どもたちを舞台に上げて、団員のソリストも起用して、僕が指揮させていただいて一緒に演奏するんですけど、今回のコンセプトは、「とにかく楽しもう」ということで、オーボエの荒木奏美さんに映画「The Mission」のテーマ曲、モリコーネの「ガブリエルのオーボエ」を演奏してもらいます。それとNHKの連続テレビ小説「瞳」のメインテーマ曲、これトロンボーンなんです。それから「アメリカ横断ウルトラクイズ」のテーマ音楽、って親世代向けだけど(笑)、「ミシシッピ組曲」をやります。
平澤
うんうん。身近な音楽をオーケストラで聴くとこんな風になるんだというところから、アレンジとか、いろんな楽器を知るという機会にもなるし、そこから演奏会に入っていくという聴き方もあるし。先日、山形の祇園踊りをオーケストラで演奏したともおっしゃっていましたよね。
飯森
そうです。ここ、山形テルサの舞台でやりました。山形には北前船の影響で京都から舞妓さん文化が入ってきていて、酒田市には「酒田舞娘」、山形市には「やまがた舞子」がいる。「無理難題かもしれないけど、彼女たちとオーケストラのコラボができないか」というオファーをいただいて。ちゃんと編曲してくれる方が山形にいて、実際、かなり面白かったですよ。あと、例えばですけど、狂言や歌舞伎のお囃子、音楽をオーケストラに編曲して表現すると、結構、面白いコラボができるんじゃないかと思いますね。
平澤
私も近いことを考えています。歌舞伎は少しずつ進化していて、新しいスターも生まれている。伝統で守るべきものは守りつつ、ある程度ははみ出していかないと、時代に合わなくなってしまうんですよね、きっと。身近な音楽という切り口でいうと、映画音楽、それからゲーム音楽を演奏するオーケストラ、今、すごい人気ですよね。
飯森
うちの上の子も今度、ゲーム音楽の演奏会へ行きますよ。
平澤
僕らもいくつか企画していますが、今、作曲家の方の活躍の場って、そうしたゲーム音楽か、ハリウッドも含めた映画音楽くらいしかないですよね。新人作曲家も育てていく機会がないとダメかな、と思うんですけど。
飯森
その通りなんですよ。優秀な作曲家は多いのに活躍する場がね。
平澤
出口がない。
飯森
すごく少ない。
平澤
そこでも何かできないかなというのも、私のテーマの一つです。
飯森
なるほど。絶対に面白いですよ。
しなやかな発想と行動力を備えた
マエストロが誕生するまで。
平澤
ここまでのお話にも垣間見えるとおり、飯森さんはプロデュース力がすごいし、発想も豊かだし、柔軟性もすごく高いですけど、それらはどこから来ていると思われますか。
飯森
多分、父親の影響だと思います。僕の父、広告代理店に勤務していたんですけど、30代そこそこで、新しいレコード会社の仕事を専任でする子会社の重役になったんです。そのレコード会社にはメジャーな歌手がいっぱいいて、そういった芸能界の方たち、芸能プロダクションの方たち、それからクライアントの方々と関わっていたんですね。
平澤
その頃、飯森さんは。
飯森
小学生になったくらいかな。父は結構、家庭で仕事の話をしていて、今思えば、仕事のやり方とか、どういったところからアイデアが生まれるかとか、そのアイデアをいかにして形にしていくかとか、そういったプロセスをよく話していたな、と。だから、もし柔軟な発想って思ってくださるのだったら、多分そこから来ているんだろうなと思います。
平澤
なるほどね。進路としては、普通科の県立高校から桐朋学園大学に行かれましたけど、音大に行かずに、普通の大学に進学してお父様のような道を進まれるという選択はなかったんですか。
飯森
実は、父方の親戚に「手のひらを太陽に」や「ゲゲゲの鬼太郎のテーマ」などを作った、作曲家のいずみたくがいるんですが、戦争でピアノも無くなり、紙の鍵盤でさらうことくらいしかできない状況で、彼は希望していたクラシックの道を進めなかったんです。結果、ミュージカルやコマーシャル音楽、いわゆる商業音楽の道を歩んだわけですが、疎開していた場所がうちの葉山の実家のすぐそばで、父によくSPレコードを聴かせてくれていたので、僕もクラシックがすごく好きになっちゃったんです。それと僕の祖父が、大阪フィルハーモニーの音楽総監督を務めていた朝比奈隆先生と京都大学で同期だったんです。当時は、朝比奈先生がヴァイオリン、祖父はチェロでカルテットを組んだりしていて、祖父も京都大学のオーケストラの創立メンバーの一人なんですよ。そうしたこともあって、家では結構、クラシックが流れていたんです。
平澤
朝比奈さんの指揮もご覧になられたんですか。
飯森
もちろんもちろん。僕が初めて指揮したのは、大学4年の時、大阪フィルなんです。
平澤
えっ、そうなんですか。
飯森
その時、朝比奈先生から「飯森の息子か?」と言われて、「いえいえ、孫です」と答えたら、先生、「孫か!俺も年とっちゃったな」とおっしゃって(笑)。
平澤
なるほどね。朝比奈さんのブルックナーシリーズ、中でも最も評価が高いレコードの1枚はヨーロッパ公演で録音したものですけど、実は大フィルで朝比奈さんが指揮されたほとんどの録音、私の父が手がけたんですよ。
飯森
そうなの?
平澤
そうなんです。だから、私は中高生の時、父の大フィルのレコーディングの手伝いをしていた時期がありましたね。
飯森
へぇ、そうなんだ。全然知らなかった。
平澤
面白い繋がりでしたね。
飯森
本当に。それで今だから言えるのですが、僕ね、父の仕事経由で結構、外来オケの招待券、もらえていたんですよ。
平澤
ああ、なるほど。そういう形でも触れていた。
飯森
ですから、中学生の頃から、ベルリン・フィルを聴き、チェコ・フィルも聴き、ロンドン・フィル、ニューヨーク・フィル、シカゴ交響楽団と、本当にさまざまなオケを聴きに行っていました。
音楽家のセルフプロデュースを助ける仕組みも必要。
平澤
桐朋を卒業された後、ヨーロッパにも行かれましたが、やはり芸能系ではなくて、クラシックの指揮を極めようと思われたのですか?
飯森
実は、小学4、5年生の時に指揮者になりたいと思っていたんです。
平澤
あ!そこね。なるほど。
飯森
初めてオーケストラのスコアを買ったのが、小学校5年生になる時の春休み。
平澤
ほう。
飯森
今でも覚えているけど、ストラヴィンスキーのバレエ音楽「春の祭典」。
平澤
随分進化した小学生ですね(笑)。
飯森
嫌なガキでしょ(笑)。
平澤
レコード聴きながらスコア見ているの?
飯森
そうそう。
平澤
ああ、なんかちょっと嫌な(笑)。でも、そういうきっかけ大事ですよね。
飯森
そう。僕はずっとピアノやっていたし、桐朋の指揮科に行きたいと決めていたけれど、県立高校の先生たちは普通の大学に進学すると思っていたみたいで、「音楽大学に進みます」と言ったら、先生たちもどういった進路指導していいかわからないからお手上げで、「じゃあ、勝手にやって」って放っておかれてね(笑)。
飯森範親さん×株式会社フェイス代表取締役社長 平澤 創
平澤
まあそうでしょうね。どうしていいかわからないし。下手したら、「君、それで食べていけるのか」みたいな勢いですよね。
飯森
そうそう、そういう世界。
平澤
音楽大学は、専門技術は教えるけど、世の中の渡り方とか、生き方とかは教えないでしょ。
飯森
全くなし。
平澤
ここまで技術教えたから、はい卒業、で放り出されて、あとはどうやって生きて行くのかは、自分自身で考えないといけない。
飯森
いかにセルフプロデュースできるかで広がりは大きく変わるけど、残念ながら、コミュニケーションできる人が少ない。社会性のない人も結構いる。あ、僕にはあるとは言っていないよ(笑)。
平澤
(笑)。いやいや、おっしゃる通りだと思います。だから、演奏家も作曲家も活動の機会をどんどん広げていけるように、やっぱり活躍の場を増やす、出口を作ってあげる必要があるな、と切に思います。ところで飯森さんは、挫折のご経験はないんですか。
飯森
いっぱいありますよ。今も挫折しています。
平澤
そうなんですか?
飯森
数年前に、ドイツのマネージャーが亡くなって、その代わりになる方がなかなかいなくてね。
平澤
そうなんですね。
飯森
もちろんヨーロッパの仕事は今でも時々あるけれど、以前のような勢いはちょっとないかな。それはそれで、現実を受け止めなくちゃいけないし、今は自分に与えられたことを一つひとつに全精力をつぎ込んでやっていく、そういう時期なんだろうなと思っていますけど。
平澤
なるほど。マネージャーという存在は確かに重要ですよね。でもすごく属人的な要素が強い。飯森さんもその方がいなくなってしまったことで、本来、活躍できたはずの場に行き着かないのは、大きな機会損失ですよね。
飯森
うん。
平澤
今後は、そうしたこともどんどん変わってくると思っているんです。「こういったキャラクターの、こういった指揮者でないと」という需要は、世界中のあらゆるところにあるわけで、もちろん、それは演奏家や作曲家の方たちも同じです。そうした音楽家の方たちの活躍の場を増やす、出口となる機能の一つとして、フェイス・グループとしては、キャスティングのクラウドサービス「クラウドキャスティング」、要するにweb上のエージェントシステムですけど、そうしたものにも取り組んでいきたいと思っているんですよ。
飯森
いい響きですね。また詳しく聞かせてください。
平澤
是非。では最後に、今後のフェイス・グループに期待すること、伺ってもいいですか。
飯森
まずは、本当にクラシック音楽を純粋に楽しんでもらう演奏会、聴きに来た方が「ああ、よかったな、また来たいな」とか「これはファッションの一つだな」と思っていただけるようなコンサートのシリーズ化を是非一緒にやれたら嬉しいと思います。それから、平澤さんは東京交響楽団の副理事長でもあり、東京交響楽団にも素敵なメンバーがたくさんいるので、そういった方々がフィーチャーされて、お客様と密接な関係になれるようなコンサートができたらいいな、と。あとは、先ほどドビュッシーの例をお話ししましたけど、いろいろな切り口から、興味を持ってもらえるようなテーマで一つのコンサートを構築していく、そうしたプログラムをフェイスの方からもご提案いただいて、一緒に作り上げて、それをシリーズ化していきたい。これまであまりやっていないことだし、非常に面白い取り組みになると思います。
平澤
そうですね。
飯森
それと、先日、フェイスの方々と対話している時、特にITの世界は、今現在、当たり前とされていることが、2年後には全く価値をなさなくなっていることもたくさんある、逆に今は、こんなものがあっても使えないと思われているようなことが、もしかしたら10年後には当たり前になっているかもしれない。だから、いつも5年後、10年後を見据えて、様々なことをどんどん見つけて開発して、形にしていかなくてはいけない、とおっしゃっていたんだけれど、それはクラシック界にも言えることだと思うんですよ。
平澤
おっしゃる通りですね。
飯森
皆さんが持っているデバイスに入り込んでいくようなプロモーションの形、チケットの購入に繋がる魅力的なコンテンツなど、クラシック界もそうしたことも考えていかないといけないと思うし、フェイス・グループの皆さんには、是非さらに突っ込んだ発想を具現化して欲しいと期待しています。
平澤
2020年以降を見据えて、たくさんのチャンスを生かしながらいろいろな場面でご一緒させていただければと思います。本日はありがとうございました。
飯森範親さん×株式会社フェイス代表取締役社長 平澤 創
飯森範親さん×株式会社フェイス代表取締役社長 平澤 創

飯森範親さんプロフィール

桐朋学園大学指揮科卒業。ベルリンとミュンヘンで研鑽を積み、1994年から東京交響楽団の専属指揮者、大阪・オペラハウス管弦楽団常任指揮者、広島交響楽団正指揮者などを歴任。2004年シーズンより山形交響楽団の常任指揮者に着任。次々とオーケストラの活動発展の新機軸を打ち出し、2007年より音楽監督に就任。海外ではフランクフルト放響、ケルン放響、チェコ・フィル、プラハ響、モスクワ放響、ロベルト・シューマンフィル、ハレ歌劇場管弦楽団、北ドイツ放送ハノーファーフィル、北西ドイツ・フィル、デュッセルドルフ響、ドルトムント歌劇場管弦楽団、バーゼル響、フランス国立ロレーヌフィル、チェコ国立ブルノ・フィル、チェコ国立モラヴィア・フィル、ホノルル響など世界的なオーケストラに客演を重ね、2001年よりドイツ・ヴュルテンベルク・フィルの音楽総監督に着任、2007年以降首席客演指揮者として活躍。2008年にはアカデミー賞映画「おくりびと」に「飯森&山響」コンビで出演。近年は音楽家としての活動のみならず、アートマネジメント分野でもその才能を発揮し、日本経営士会名誉会員として活躍の場を広げている。現在、東京交響楽団正指揮者、山形交響楽団音楽監督、日本センチュリー交響楽団首席指揮者、いずみシンフォニエッタ大阪常任指揮者。