村主章枝さん × 平澤創 [対談]

フェイス25周年記念Webサイトスペシャル対談企画12

現役の時からの大きな人生テーマ
「チャレンジする、新しいものに挑戦する」を追求し続ける。
村主章枝さん×株式会社フェイス代表取締役社長 平澤 創

 
現役生活28年。
感性は触れ合いの中から拓かれる。
平澤 創(以後 平澤)
本日はお忙しいところ、フェイス25周年記念スペシャル対談のために時間を作っていただきありがとうございます。
村主章枝さん(以後 村主)
こちらこそ、貴重な機会をありがとうございます。
平澤
初めてお会いしたのは2013年2月で、フーミン、現役でしたね。
村主
はい、そうです。2014年の11月に引退したので。懐かしいですね。
平澤
現役最後の2年を近くで見せてもらったわけだけど、そんなに長い期間、現役を続けるというのはすごいなって思っていて。
村主
そうですね、33歳まで続けたので現役生活28年間でしたが、それは自分の意思の問題だけでなく、続けさせてもらえる環境にいられたというのが一番大きい。どんなに続けたくても、やっぱり続けられない方が多いんです。環境や資金的なこともあるので、皆さんから多大なサポートをいただき、競技者として続けさせてもらえたことに一番感謝しています。決して自分の力だけではなかったと思っています。
村主章枝さん×株式会社フェイス代表取締役社長 平澤 創
平澤
28年継続してきて、引退を覚悟した決め手はなんだったの?
村主
それは現役選手を続けながら、アイスショーのプロデューサーになることはできないと言われたからです。
平澤
協会から?
村主
はい。ショーをプロデュースすることがずっと自分の目標だったので、そうであれば、もう引退するしかないと思ったことが決め手でした。他に振り付けの依頼をいただいたのもありますが、一番大きな理由はそれですね。
平澤
資金的な難しさの話もしていたよね。スポンサーもだんだんつかなくなってくる、親にも結構借りていると。
村主
そうですね。トリノの後、2008年くらいには、「続けたいなら、なんとか自分でお金を工面してきなさい。貸してあげたいけれど、もう貸すものもない」という、親子の話し合いになり(笑)。そこから先は、自分で探してきたり、マネジメントを依頼している会社が私を見つけてくれたり、という流れでしたね。
平澤
僕と出会った頃、某レーベルのミュージック・ビデオに出ていたでしょ。
(GILLE - Try Again [Try Agian Stories ♯6 村主章枝編])
村主
はい。某動画サイトですね。
平澤
OLしながら現役続行というストーリーだったけれど、あれは作り込みじゃなくて本当なの?
村主
そうです。本当にサニーサイドアップの社員として働いて、お給料もらいながらスケートしていました。
平澤
あれはなかなか感動的だった。
村主
(笑)。いろいろなご縁で実現して。あのミュージック・ビデオはシリーズもので、他にもさまざまな方(競泳・松田丈志、バドミントン・池田信太郎、キックボクサー・久保賢司、YouTuber・HIKAKIN、Daichi、アイドル・奥仲真琴、演出家・テリー伊藤等々 ※敬称略)が出演されていて、平澤さんも「なかなか面白かった」って言ってくださいましたよね。
平澤
なかなか良かったし、びっくりした。新境地だったよね。ミュージック・ビデオと言えば、CODE-V(ドリーミュージック所属)の「大好きで大嫌い」(2018/5/30発売)に出演してくれて。ぜひ、皆さんに見ていただきたい、これもかなりの新境地。
村主
あれは、アーティストさんのおまけで出るのかと思ったら、まさかのメインみたいになっちゃって(笑)。
平澤
女優できそうだよね。
村主
いえいえ(笑)。でも面白かったです。
平澤
やっぱりフィギュアで培ってきた表現力の豊かさがあるから、「こういった雰囲気でやって」と言われたらそつなくこなしちゃう。すごいよね、普通はなかなかできない。
村主章枝さん×株式会社フェイス代表取締役社長 平澤 創
村主
そうやってスケートの中で育てられてきた、教えられてきたというのはありますね。作品を作る時に、滑りにはセリフはないけれど、こういうセリフでこういう演技をするって先ず決めるんです。そして、このセリフだったらこの表現の仕方をするよねという流れで作りあげてきているので、だいたいそのあたりはわかります。
平澤
フィギュアって、表現力がすごく重要だもんね。今、いろいろな人の振り付けとか、子供に教えたりしているけど、どれだけ技術的にスキルがあっても表現力が乏しいとダメでしょ。
村主
それを教えるのが振付師の仕事なので。
平澤
でも表現力って、天性みたいなものってない?
村主
7割、8割くらいまでは天性のものが無くてもいけると思うんですよね。それこそ世界選手権やオリンピックのチャンピオンになるとかだと、最後に違いが出ると思います。
平澤
なるほど。
村主
自分も最初からそうした感性があったかというとそうではなくて、やはり振付師さんに引き出してもらったり、勉強して身につけた部分が大きい。なので、生徒たちと接していく中で、さまざまなエンターテインメントに目を向かせるようにしたり、その機会を作ってあげることで思考を広げていくというか。この夏も生徒たちをラスベガスに連れていって、シルク・ドゥ・ソレイユの「O(オー)」を観せたり、その中のパントマイムの先生のレッスンを受けさせたんですけど、そういう実践を通じて、「ああ、こんなこともできるんだ」と、まずは目を開かせて、その後、いろいろなやりとりの中で自らが見つけていく、それが指導者の力量だと思うんですよね。
平澤
うんうん。ショーは結構、観たの?
村主
はい。私はシルク・ドゥ・ソレイユの「O(オー)」、「Ka(カー)」、「Zumanity(ズーマニティ)」、とシーザーズパレスの「Absinthe(アブシンス)」とか観ました。生徒たちも感動していましたね。
平澤
「Zumanity(ズーマニティ)」はちょっと子供には。
村主
そうですね、あれはちょっとねぇ、入れませんけどね。
平澤
入れないよね、未成年、子供はダメだよね。
村主
18歳未満はダメですね。
平澤
僕も随分観たけど、外国の人って日本人より、ものすごく表現力が豊かだよね。
村主
そうですね。まあ、学校教育の中で、自分の意見を持つとか、自分をアピールするという育てられ方をしているので、そういった違いは大きいのかなとは思いますね。
「この人みたいになりたい!」
フィギュア人生の一生を決めた
師匠・ローリー・ニコルとの出逢い。
平澤
子供たちを教えていくことに目覚めたというか、振り付けも含めて教えていこう、と思ったのはいつ頃?
村主
15歳の時。
平澤
えっ?15歳の時?
村主
15歳で自分の師匠である振付師さんに出会って、「試合に出てメダルを獲りたい」というのではなく、「私はこの人みたいになりたい」と思ってずっとスケートをしていたんです。
平澤
そうなんだ。その先生って誰?
村主
Lori Nichol(ローリー・ニコル)先生です。
平澤
なるほど。有名な先生ですね。
村主
だったら、なぜ競技界にずっと身を置いていたのかとよく聞かれるんですけど、それは師匠の技術が凄すぎて、全然追いつかなかったから。やはり競技界という過酷な環境の中に身を置かないと学べないことってすごくたくさんあって。それこそスケートリンクに出て行って、最後に扉をガチャっと締められたら、一人でなんとかしなくちゃいけない、そういう状況に立たされた時にわかる精神的なものだったり、技術的なものだったりということが、本当にすごく多い。だから、この環境に身を置きながら、この人に近づくための訓練をしないと、自分は絶対に追いつかないだろうなと思って、ずっと競技界に身を置いていたんです。
平澤
それはある意味、すごいね。15歳っていうのは初めて聞いた。アスリートの生活って本当に過酷でしょ。例えば、15歳の時はどういうスケジュールだったの?
村主
朝5時位に起きて、朝練に行き、家が新横浜で学校が大船と遠かったので、親に送ってもらう車の中で着替えと食事をして、宿題をする。学校で勉強して、帰りはまた迎えにきてもらった車の中でおやつを食べ、着替えをし、宿題をして、リンクに行って練習をする。家に帰ったら食事をし、学校の勉強をして寝てみたいな、その繰り返しですね。
平澤
じゃあ、学校にいる時と移動時間以外は全部リンク?
村主
リンクです。
平澤
どのくらいの時間、リンクにいられるの?
村主
トップになろうと思ったら3時間は絶対にこなさないと厳しいですね。リンクでの練習を3時間以上、プラス、トレーニング、バレエやダンスレッスンとかを受けるって感じですね。
平澤
一番過酷だった時、休みはあったの?
村主
休みは一応1週間に1日は取るようにしていましたけど、ほとんど勉強していました。私がフィギュアを始めた当初は、フィギュアはこんなに人気じゃなかったし、親はこれを職業にするなんて全然思っていなくて、普通に進学・就職して欲しいっていう考えで、学校が1番、スケートは2番、学校の勉強が疎かになるのであれば、スケートやめさせますっていうスタンスだったんです。
平澤
そうなんだ。コーチ、教える側になりたいと思ったのが15歳で、引退まで18年、ずっとそうやってスケート三昧だったわけでしょ。すごいよね。その精神力ってどこから出てくるんだろうね。僕はベストセラーも価値あるけど、やっぱりロングセラーがすごく重要だと思っているんだよね。長く続けるって本当に難しいし、辛いし、途中で辞めちゃう人、諦めちゃう人も多い。もしくはここまでやったら、例えば、オリンピックに出た時点で、もう教える側になってもいいかなって思ったりしても不思議じゃない。
村主
自分の人生は、いつも少し足りない、というところが毎回キーポイントだったのかなって思っています。例えば、オリンピックに2回出たけれど、5位、4位でメダルに手が届かなかった。世界選手権では、3位を2回、2位も2回、メダルは獲ったけど1位は獲れませんでした。そのちょっと届かない原因、自分に足りないものを見つけて、もうちょっと、もうちょっとみたいな感じになって、続いたのかなとは思います。性格的には意外と飽きっぽくて、怠惰だってすごく言われるんですけど、続いたのは唯一スケートだけなんです。
村主章枝さん×株式会社フェイス代表取締役社長 平澤 創
平澤
なるほど。確かにスケートに関わる話、半端ないよね。中途半端が全くなくて、執念を感じる。その長きにわたるモチベーションは、どこから出てくるのかなと思うくらい。やっぱり15歳の時に発露した想いが一番の原動力なのかな。
村主
後は、本当に「好き」と言う気持ちがすごく強いと思います。
平澤
好きね。好きってすごく重要だよね。
村主
例えば、山登りも大半が辛いことだけど、でも最後のちょっと、頂上から見える素晴らしい景色を見たいがために一生懸命頑張る。私もスケートで頂点に立った時の景色がとても素敵で、それに魅了されて・・・という感じだと思います。後は、15歳で最初に師匠に出会った時から、エンターテインメントの世界に魅せられている、ということもあると思うんです。出会ってすぐ、師匠から「これを全部見てこい」と、山積みのビデオテープを渡されました。そこで初めて、ミュージカルやバレエ、舞台などの映像を見て、エンターテインメントに魅了されました。
平澤
スケートのビデオではなくて?
村主
はい、サーカスからミュージカルから、舞台から、バレエから。
平澤
なるほど。
村主
それを機に、世の中にはこんなにも知らないことがあるんだ、って初めて知ったんですよ。それで本当に面白いと思ったんです。あとスケートの練習が辛いなかで、そうしたエンターテインメントを見て、自分にエネルギーをもらった。だから、いつか自分も同じような境遇の人にエネルギーをあげられるようになったらいいな、自分もこういうところを目指して頑張りたいって思ったんですよね。
平澤
ああ、なるほどね。なんかいろいろ繋がってくるね。その経験があるから、今、教える立場になって、生徒たちをショーに連れて行ったり。
村主
そうですね、そうですね。同じように。
平澤
「O(オー)」なんて水の世界だから、シンクロナイズドスイミングを教えているんだったら、観せに行くのはわかるけど、普通、考えたら全然違うもんね。種目に関係なく、表現力ということだけじゃなくて、総合的に感じさせる。やっぱり15歳の時のきっかけが全てにつながっている。
村主
幼少期にスケートを始めたきっかけは、アラスカに住んでいたということが大きいんですけど、アラスカでは例えば、鮭釣りに行ったりとか、流氷やオーロラを見に行ったりとか、両親がすごく自然と触れ合う機会を作ってくれたんです。日本に帰ってきてから通っていた学校もちょっと変わっていて、三浦海岸にある自然教室で、1ヶ月に1回のペースで田植えをしたり、キャンプをしたりしていました。今になって思うと、そうしたさまざまな体験をしたことがベースにあったから、師匠が示してくれたものから受け取る感性が培われていた、それがワッと出てきたのかなとは思いますね。
平澤
そうだよね。いろいろな経験をすること、させてもらえることってすごく重要。そういう感覚的なものって、理屈で教えられるわけじゃないしね。
村主
そうですね。
平澤
やっぱりフィギュアにはそうした感性が大事だから、子供たちに体験の機会を作ってあげようとしている。
村主
後は、最初は見方もわからないので、説明をしてあげるという役割もあります。ただ見るのではなくて、例えば「ここはこういうところがすごいから、特に注目してみてね」とか説明してあげる。そうするとなんとなく引っかかりが掴めてきて、ただ、「ウォー!すごい」だけじゃないんだってわかる。だから観劇後はとりあえず感想文を書かせるんですけど、まず文章が書けない。どういうところに着眼点を置いて、っていう感想文を書くことは学校でやっていないので。
平澤
今も書かせているの?
村主
やっています。毎日。
平澤
でも教える相手って日本人だけじゃないでしょ。
村主
外国人も。
平澤
英語とかも添削するの?
村主
英語で、はい。
平澤
そうだよね、海外、長いもんね。
エンターテインメントとしての
フィギュアスケート。
平澤
今まで拠点はカナダだったけど、今は、ラスベガスに結構いるんでしょ。
村主
はい、カナダはもう終わりにして、今はラスベガスです。夏は2ヶ月ずっといますね。
平澤
ラスベガスに移動した理由はあるの?
村主
ビザの問題です。カナダではグレードの高いスポーツクラブに雇用されて仕事をしていたんですけど、2回目のワーキングビザの申請の時に、永住権の申請もしないといけないということがわかって。それで、アメリカの弁護士さんに相談したら、アメリカのグリーンカードを持ったまま、カナダの永住権を取り、日本のパスポートを持つことはできないということだったので。
平澤
なるほど。
村主
最初は、アメリカの西海岸で拠点を探していたんです。そうしたらたまたま、昨年ラスベガスにべガス・ゴールデンナイツというNHL(ナショナルホッケーリーグ)所属のプロアイスホッケーのチームが新たにでき、そのチームの練習地として新しいスケートリンクが作られたんです。たまたま縁があって訪ねたら、「ぜひ教えてもらおうか」というオファーをいただいて、それで移動したという感じです。
平澤
ラスベガスの場所を送ってもらったけど、砂漠の中にすごいよね。
村主
(笑)。
平澤
ちょっとびっくりするよね。ラスベガスって、全体的に地の利でいったらすごいところにあるよね。
村主
そうですね。皆さん、砂漠とカジノのイメージかな。今は、NHLもできましたし、女子バスケットボールWNBA(ウーマンナショナルバスケットボール協会)のチームも呼んで、ラスベガス・エースズとして活動を始めていますし、再来年には、NFL(ナショナルフットボールリーグ)のレイダースも来るし、すごくスポーツが盛んになってきているんですよ。
平澤
なるほどね。ラスベガスに行くって聞いた時に、本格的なスポーツ、アスリートの世界だけじゃなくて、エンターテインメントの方にも行くのかなって思ったんだけど。教えるにあたって、オリンピックや世界大会を目指す選手を育てていくのも一つだし、エンターテインメントとしてのスケートもあるわけだけど、今後どっちに力を入れてやっていきたいの?
村主章枝さん×株式会社フェイス代表取締役社長 平澤 創
村主
私は、エンターテインメントの方です。エンターテインメントで活躍できるスケーターを育てていきたい、それをメインにしていきたいなと思っています。でもエンターテインメントだからと言って、力半分でいいというわけじゃなくて、やはり一回は必死になってもらわないと、エンタメの世界でも上にはいけない。
平澤
アイスショーをすることにすごくこだわりがあるでしょ。
村主
はい。
平澤
かつて聞いた話ですごく印象的だったのは、フィギュア人口も増えてきた中で、確かに頂点に登れる人は限られているけれど、そこまでいかなくても素晴らしいスケーターがいっぱいいるのに、そうした人たちの活躍の場がないっていう話。自分のことだけじゃなくて、人のことを考えて総合的にやってあげたいっていう気持ち、考えってすごいと思うんだよね。そういう考えっていつ頃からあるの?
村主
通っていた学校がカトリックだったこともあって、誰かのために何かをするとか、助け合って何かをするとか、そういうことを耳にたこができるくらい学校の中で教えられてきたので、それがベースにあると思います。
平澤
なるほどね。それとフィギュアの経験を総合して、ということだね。
村主
そうですね、自分自身もすごく苦労しましたし、両親にもすごく苦労かけたので。
平澤
なるほど。エンターテインメントとしてのアイスショーをするには、元アスリートを呼んでくるのか、小さい子供から育てていくのか、どっちが向いているの?
村主
開催の時期にもよると思うんですよね。子供たちは、今はまだ育てている段階なので、その子たちが全て出られるようになってからだと、時間もかかるし厳しいと思います。
平澤
アスリートとしていくのとエンターテインメントにいくのとではプロセスが全然違うんじゃない?
村主
アスリートの場合、どちらかというと鍛える方がメインですけど、エンターテインメントの方は、もっといろんなことができるっていう感じですかね。例えば、ジャンプはできないかもしれないけど、もしかしたら、フラフープしながら滑れるかもしれないし(笑)。
平澤
ああ。競技の中には含まれていない何かみたいな。
村主
そうですね。横回転はできないけど、縦回転はできるとか(笑)
平澤
バク転とかそういうこと。競技ではバク転とかないでしょ。
村主
バク転したら減点になっちゃう。
平澤
(笑)。そうなんだ。それは危険行為になるのかな。すごく細かく決まっているよね。前に一緒に観戦に行った時、これがこうだ、あれがこうだ、ここで減点、これが加点だと、結構、ブツブツ話してくれたからすごくよくわかったけど。
村主
細かいし、複雑ですよね。
平澤
複雑だよね。芸術点ってやっぱりすごく曖昧な感じがするし。
村主
わかりやすく、明確にしようという方向性にはなっていますけど、なかなか難しい。
平澤
結果見て「なんで?」って思う時あるよね。芸術点の最後が違うんだろうなって。
村主
でも技術的な点数の方が大きいです。
平澤
まあね。でも最後のプラスアルファの部分の付け方に個人差があるように見える。
村主
うーん。そうでもないですよ。だいたい揃ってはきますよね。ただ、どうしても芸術点も技術点につられちゃいますね。芸術性が強みのスケーターが、ジャンプを大きく失敗しちゃった場合、ジャンプの技術点が低くて、それでも芸術点は高いっていうことはない。技術点が落ちると芸術点も落ちる傾向にある、どうしてもつられちゃう。
平澤
ああ。でも明確になってきたのって割と最近なの?昔と比べてどうですか?
村主
昔の6.0満点採点システムの頃は訳わかんないって感じで、本当にグレーでしたね。それでもジャッジの人はどういうものに対して得点をつけるかというトレーニングもしてはいましたけど、今の方が採点基準が細かく分かれたこともあって、明確になりましたよね。
平澤
明確にね。フーミンが現役の時って、納得できなかった点数とかある?今は、見ていて納得できる感じが増えた?
村主
そうですね。ただ一般の人たちにはわかりにくいかもしれないですね。2002年のソルトレイクオリンピックで大きな不祥事があって、そこから採点基準がガラッと大きく変わってきましたね。
平澤
なるほど。僕は、あの点数のつけ方、最後に曖昧な部分があるからこそ、面白いのかなとか思ったりするんだけどね。時間競技とかは勝ち負けがものすごく明確だけど、フィギュアはそうじゃないところがあるから、逆に面白いっていう気がしたけどね。
村主章枝さん×株式会社フェイス代表取締役社長 平澤 創
村主
皆さん一般の方が、それを元に議論しますもんね。だから盛り上がるのかなとは思いますけど。
平澤
そう。なんかね、フランス映画っぽいというか。いいか悪いかは別にして、ハリウッド映画って見終わった後、いろんな解釈は生まれないというか、わかりやすいけど、フランス映画は答えがないというか。
村主
どっちだろうって。みんなでいろいろ、ああでもない、こうでもないってなりますね。
平澤
ちょっとそういう感じが残されている部分があるから、フィギュアっておもしろいのかなって。
村主
そうですね。
平澤
そういう部分がエンターテインメント性につながり、いろんな表現の方法につながっていくよね。
村主
その曖昧さがある、グレーなところがあるっていうのは、裏を返せば、自由度が高いということだから。その自由度を生かして、選手の個性が出せたらいいなとは思いますね。
平澤
なるほどね。僕はね、フーミンの滑りで、スピンでだんだん加速していく技、あれが一番好きだね。
村主
はい。
平澤
でもなぜ、あまりやらないの?って聞いたら・・・
村主
点数つかないから。
平澤
そう。あれ素敵なのに。
村主
好きな方多いんですけど、やっても点数にならないので。今、プログラムの作り手の立場からすると、持ち時間の4分ってかなりパツパツなんですよ。技術、技術、技術で、振り付けを入れる時間もないくらい、それこそ無駄なことを入れる時間がないんです。やりたければやってもいいんですけど、ぶっちゃけ時間を食うだけで(笑)。
平澤
あれ、なんていう技なの?
村主
バックスクラッチスピン、そんなに難しいものじゃないんですよ。ただ速く回るのが難しい。
平澤
すごく速いもんね。(村主選手の超高速スピンは1分間の回転数がダントツの1位 270回転/分、以下、2位 エフゲニー・プルシェンコ 240回転/分、3位 ルシンダ・ルー 235回転/分、4位 浅田 真央 230回転/分、5位ハビエル・フェルナンデス 220回転/分
村主
引退してからいろんなところにお肉がついて、今はもう速く回れなくなってしまって。
平澤
(笑)。現役の時って、そんなに筋トレしていたの?
村主
筋トレしていましたし、やっぱり動いている時間が違う。教える時間もあるので、どうしても自分が動ける時間は半分にはなっちゃう。ジレンマですよ、本当に。
日本文化を世界に発信できるような
今までに見たこともない夢のショーを完成させたい。
平澤
最後に今後の夢について聞かせてもらえますか。
村主
はい。やはり自分がプロデュースするショーを開催するのが1番の目標、人生の課題です。
平澤
ラスベガスにいるとそういう機会やチャンスが多いような気がするんだけど。シルク・ドゥ・ソレイユのように365日、アイスショーができそうじゃない。何かいい感じで繋がってきたりしている?
村主
いろいろ出会いはあって、何か形になればいいなとは思っていますけど、なかなか難しいですね。こんなにハードルが高いとは思いませんでした。まあ、普通にショーをやるのは簡単かもしれませんけど、誰もやっていないことをやろうとしているわけだから、しょうがないのかなとは思っています。
平澤
過去を振り返ってみて、映画でも舞台でも、そんな簡単にうまくいかないよって言われていたものに限って世界的にヒットするということが多いから。僕は一応、いつも頭の片隅ではあるけれど、何か一緒にできたらいいなとは思ってはいるよ。
村主
ありがとうございます。以前は、スケートショーをやることが目標だったんですけど、今は「今までにないショー」をやるということに変わってきたので。
平澤
やったことのないもの。
村主
そう、観たことのないもの。自分の現役の時からの大きなテーマでもある、チャレンジする、新しいものに挑戦するというところをショーの中に盛り込みたいと思っています。あとは日本人なので、日本人らしさとか、日本の文化をきちんと世界に発信できるようなものを作り上げたい。その2点が大きな目標かなと思っています。
平澤
例えば、日本のエンターテインメントの魅力はどんなところにあると思う?
村主章枝さん×株式会社フェイス代表取締役社長 平澤 創
村主
やはり繊細さが日本の良さというか、特徴だと思うんですよね。例えば、アニメでも映像がすごく細かかったり、さまざまなエンターテインメントショーの舞台装置や衣装もすごく繊細ですし、それが日本の一番の魅力なのかなと思いますね。
平澤
確かにラスベガスの一連のショーとかを観ると日本人からすると大まかかな?
村主
だからそうした中で、いかにして日本の良さを出していくかも、一つの課題になると思うんですよね。
平澤
確かに。アニメもそうだし、日本の楽曲もそう。日本舞踊とか、手の動きで魅せるし。逆に日本人しかできないようなことを混ぜることで、新しいものができそうな気がする。
村主
そうですね。殺陣の要素も取り入れたいなと思っているんです。
平澤
そうした日本のエッセンスが含まれているショーがどんどんできるといいよね。日本でも先日、カジノを含む統合型リゾート(IR)実施法が可決されたけど、ラスベガスを観ていると、本当にエンターテインメントの要素が大きいからね。
村主
はい。本当に、近くでいろんなショーが見られるので、さらに一つの目標にはなります。いつか自分も、って。
平澤
どんなショーが出来上がるのか楽しみにしています。今日はどうもありがとう。
村主
こちらこそありがとうございました。
村主章枝さん×株式会社フェイス代表取締役社長 平澤 創
村主章枝さん×株式会社フェイス代表取締役社長 平澤 創

村主章枝(すぐり・ふみえ)さんプロフィール

1980年生まれ、横浜育ち。清泉小、清泉女学院中高を経て、2003年、早稲田大学教育学部卒業。表情の豊かさから「氷上の女優(アクトレス)」と称えられる日本を代表するフィギュアスケート選手の一人。幼少期をアラスカで過ごし、帰国後6歳でフィギュアスケートを始める。中学1年の時、国際大会デビュー、中学3年で全日本ジュニア選手権2位を獲得し初の表彰台に立ち、16歳にして全日本女王に輝いた。ソルトレイクシティオリンピック5位、トリノオリンピック4位に入賞。日本人初となるISUグランプリファイナル優勝ほか、四大陸フィギュアスケート選手権3度の優勝、通算9大会に出場した世界選手権では3大会でメダルを獲得。2014年11月、競技選手としての引退後は、振付師や解説者として活躍。2017年には写真集『月光』を刊行。