水木一郎さん × 平澤創 [対談]
水木一郎さん × 平澤創 [対談]

フェイス25周年記念Webサイト・スペシャル対談企画7

ブームではなく、文化を創る、
ベストセラーよりロングセラーを。
水木一郎さん×株式会社フェイス代表取締役社長 平澤 創

アニソンの帝王「水木 一郎」が生まれるまで。
マジンガーZ、仮面ライダーなどアニソン1,200曲との出会い。
平澤 創(以後平澤)
本日はフェイス創立25周年記念スペシャル対談にご登場いただきありがとうございます。日本コロムビアに関わってくださっているアーティストの方々が数多くいらっしゃる中で、いろいろ考えた末、水木さんをお招きいたしました。
水木 一郎さん(以後水木)
光栄です。よろしくお願いします。
平澤
フェイスは25周年ですが、水木さんはデビュー50周年で、御年70歳でいらっしゃいますよね。
水木
そうです。20歳でデビューしましたから、実に計算がしやすい(笑)。
平澤
実は、私も50歳の年にフェイスは25周年、水木さんは70歳でデビュー50周年という、二人とも非常にキリのいい数字なんです。
水木
すごい巡り合わせですね。
平澤
はい。水木さんがデビューされたのが1968年、私が生まれたのが1967年。物心つく前から、水木さんの歌を聴いて育ったといっても過言ではありません。
水木
ありがとうございます。ただ、デビュー当時は歌謡曲を歌っていて、アニメソングに転向したのは23歳の時です。
平澤
転向のきっかけは何だったんですか。
水木
アニメソングを担当していたコロムビアのディレクターに見出されました。今でこそ、「アニソン歌手になりたい」という方も増えましたが、当時、アニメソングは、「まんがの歌」と軽視され、成り手が全然いなかったんです。歌謡曲の歌い手たちが歌うこともありましたが、皆さん、レコードジャケットに自分の顔が出ないことを不服がっていましたね。でも、映画の主題歌を歌いたいという想いが強かった僕にとっては、アニメソングは映画主題歌と同じようにロマンを感じるものだったんです。それに、レコードを売るために地方を回ってキャンペーンをしなくても、毎週、テレビで流れることも魅力でした。
水木一郎さん×株式会社フェイス代表取締役社長 平澤 創
平澤
確かに、そうですね。
水木
1作目は、TBSで放映された石森章太郎(後に石ノ森章太郎)先生の「原始少年リュウ」の主題歌でした。これがなかなかいい歌で。ただ、「きっとこの1曲で終わりだろうな」という思いもあり、当時、作曲もしていたので、何十曲かを持って行ったところ、「水木くんは、作曲はまだ先でいいよ。歌手は今しかできないから、今は歌をやったほうがいい」と言われて(笑)。
平澤
(笑)。
水木
実は僕がアニメソングを歌うまでは、鉄腕アトムをはじめ、楽曲はコーラスグループや少年少女合唱団が歌っていて、映画会社の東映さん、東映動画さん(今の東映アニメーション)はじめ、各社がアニメソングに特化したソロの男性歌手を探していたんです。女性歌手は堀江美都子さんがいましたけど、男性歌手はいなかった。そこに僕がぴったりハマったんです。
平澤
なるほど。
水木
僕の声がアニメや特撮の番組には向いていたようで、特に特撮では東映の平山亨さんがプロデュースするテレビ番組はほとんど、週に何本もずっと歌わせていただき、毎日がレコーディングの日々でした。
平澤
レコーディングはどこでされていたんですか。
水木
当時、日本コロムビアの第1スタジオではよくレコーディングしましたね。ここは美空ひばりさんがレコーディングをされたことでも有名ですね。さらに古い時代の名曲を生み出した内幸町のスタジオで「超人バロム・1」の主題歌をレコーディングさせてもらったのは僕の誇りです。当時はヘッドフォンではなく、スピーカーから流れるオケを聴きながらレコーディングしていました。そんな体験、もうないでしょうね。
平澤
そういう体験もされたのですね。
水木
ちょうど新しいレコーディング手法に移り変わる、その移り変わりを体験できました。それから「変身忍者 嵐」、今、中東でものすごく人気のあるロボットアニメ「アストロガンガー」、「マジンガーZ」、「バビル2世」、「ロボット刑事」、そして「仮面ライダー」シリーズへと、本当にずっと続けて歌わせていただいて。
平澤
すごく覚えているし、私もハマっていました。
水木
今の50代の方は、ちょうどハマっている世代ですね(笑)。
平澤
見事にそうです。今、名前が上がったタイトルの中では、「ロボット刑事」ってあまり見ている人は多くないと思いますが、私は好きで見ていました。ベレー帽をかぶったロボットがとんでもなくダサい車に乗っている不思議な設定で(笑)。
水木
そうです、そうです。かぶっています。
平澤
本当に幼稚園・小学校と水木さんの歌声といつも一緒でした。
水木
今はたくさん歌い手がいるけれど、平澤社長が幼稚園の頃って、まだ、ささきいさおさんも、串田アキラくんも、影山ヒロノブくんもいなくて、男性部門はほとんど僕が独占状態でしたからね(笑)。
水木一郎さん×株式会社フェイス代表取締役社長 平澤 創
平澤
今はアニソン歌手になりたい人もたくさん出てきていますが、こういう状況、水木さんの目にはどう映っているのか、すごく興味があります。
水木
誰も成り手がなかったアニソン歌手になって47年。今の若い人たちはどんどん海外に出て行けるようになっている中で、まあ、せめてその道を拓いた人がいるということだけは覚えておいて欲しいな、と。でもまあ、アニソンを選ぶ人が増えたことは嬉しいかな(笑)。
平澤
水木さんはレジェンドであって、正直、これから誰かがこの地位を目指しても、水木さんほど長きにわたって歌い続けることってきっと無理でしょうね。ところで、今現在、水木さんの持歌は何曲ですか。
水木
1999年にフジテレビの音楽バラエティ番組「快進撃TV!うたえモン」の企画として、河口湖ステラシアターで「24時間1,000曲ライブ」を開催しまして、24時間かけて持ち歌1,000曲を歌ったのですが、それから200曲くらい増えていますし、今も新しい曲をレコーディングし続けています。NHKのドラマ主題歌も歌わせていただきましたし、ゲームソングやCMソングもあります。たくさんの楽曲に恵まれて、世界中で一番幸せな歌手だと、本当にそう思っているんです。いつかはダメになるだろう、いつかは「あの人は今」になるだろうと思っていたんですが、いつまでたっても全然ならない(笑)。
平澤
アニソンは本当に世界的に知名度が高くて、水木さんはウィキペディアに現存する日本人最多の90言語で掲載されているそうですね。
水木
これは不思議なんですよ。世界で活躍している日本人は、ほかのジャンルにもたくさんいるし、アニソン歌手だって僕だけじゃなくて、いっぱいいるのに。
平澤
やはり作品の多さにも起因しているのではないでしょうか。世界中でアニソンが愛され、その中で一番多くの感動を共有している歌手ということだと思います。やはり特別な存在、レジェンドですね。ところで、「ゼーット!!」の雄叫びやマフラーといったスタイル、本当に強烈に老若男女に浸透していますが、何かきっかけはあったのですか。
水木
日本テレビで大晦日に放送される「絶対に笑ってはいけない」というダウンタウンさんの番組で、マフラーをしてガソリンスタンドの店員に扮して登場したのがはじまり。「オーライ!ゼーット!!」といろんな「Z」を飛ばしたのがすごくウケて。
平澤
そこから定着したんですね。
水木
そう。「ちょっとアニキみたいな人は、吉本にはいません」とか浜ちゃんに言われて、僕も嬉しくなっちゃって(笑)。そこからどんどん加速して。
平澤
なるほど(笑)。
水木
当時、アニメソングは今ほど市民権を得ていなかったから、そのスタイルでメディアに出ることを徹底したことで皆さんに覚えてもらえて、だんだん認知されるようになったかなという気はします。ある時、「この格好じゃ街は歩けないな」と番組のロケでマフラーをしていなかったら、ものすごく品のいいご高齢のご夫婦がわざわざ近づいてきてくれて「今日はマフラーしていないんですか」と言われて、「はっ!」と思ったんです。そこまでお茶の間に浸透していたのか、と(笑)。
平澤
まさにブランディングですね。
5歳で母親が聴いていたジャズと出逢う。
平澤
歌手になりたいと思われたたきっかけは?
水木
これはもう早すぎる、5歳の時です。父は僕の生まれる前に神田でレコード店を経営、母はジャズ好き、洋楽好きという両親のもとに生まれました。レコード店が空襲に遭い、世田谷に移り住んだ後も、母はずっと隠し持っていたスタンダードジャズのLPレコードを蓄音機でずっと聴いていました。それで僕は、ビング・クロスビーという米国の歌手を知って、「ホワイト・クリスマス」などの曲をイチョウの木に登ってデタラメ英語で歌っていて、その頃から歌手になりたいという思いがすでに芽生えていました。
平澤
かなり早いですね。
水木
早いです。小学生になると、アメリカンポップスが流行って、エルヴィス・プレスリーだ、ポール・アンカだと一生懸命、覚えました。当時、僕の夢は「アメリカでデビューする」ことだったんですけど、やがて日本のスターたちがカバー曲を歌い、「ヒットパレード」のような人気番組も生まれたので、「それなら僕にもチャンスがある」と。それで中学の頃になると新宿のACB(アシベ)とかラ・セーヌといったジャズ喫茶、今でいうライブハウスに出入りするようになりました。マセた中学生でしたね。
平澤
(笑)。
水木
ある時、ザ・ドリフターズが出演していて、当時のリーダーだった桜井輝夫さんに「うちに来て歌の勉強をしないか」と誘われたんです。その頃、いかりや長介さんや小野ヤスシさん、加藤茶さんもいたかな。志村けんさんは、まだいなかった。もしかしたら、僕が志村けんさんになっていたかもしれない(笑)。
平澤
そうですね(笑)。
水木
それで、歌の練習をしていたら、桜井さんが「君は、和製フランク・シナトラになりなさい」とおっしゃったんです。アメリカンポップスに夢中な頃で、ジャズは頭から離れていたのに、小さい頃に聴いていたビング・クロスビーとかが染み込んでいたのかもしれないですね。それから、当時、歌手の登竜門として大スターたちが数多く巣立っていたジャズ喫茶「ラ・セーヌ」のオーディションに16歳の時に出て。コロムビアで森山浩二さんがカバーを出されているアメリカンポップスの「僕のマシュマロちゃん」という曲を歌って、グランプリをいただいたんです。
水木一郎さん×株式会社フェイス代表取締役社長 平澤 創
平澤
そういうきっかけでしたか。
水木
はい。
平澤
実は私の実家は幼稚園なんです。両親とも音楽が好きで、特に母はピアニストだったので、僕に歌謡曲を聴かせなかったんです。歌謡曲は「魔の音楽」だから、って(笑)。ジャズもほとんど聞いたことがなく、クラシックばかりだったんです。
水木
よくアニメを見せてくれましたね。
平澤
そうなんです。母が認める歌手の方が2人だけいて、それが尾崎紀世彦さんと水木一郎さん。「この人たちは歌がうまい」ということで、聴かせてもらえたんです。
水木
ああ、鳥肌立ってきました。
平澤
どうされたんですか(笑)。
水木
実は昔、女房にも同じこと言われたんですよ。「私にとって1位は尾崎さん。2位はあなたよ」って。それで、「へぇ、そうなんだ。俺ってそんなにうまいのか」って思っていたの(笑)。事前に何か女房と打合せでもされたんですか。びっくりしたなあ!
平澤
いやいや、間違いありません。
人の感性・想いを生み出すアナログの力。
平澤
やはり人の心に「響く」「伝わる」ことが、非常に重要なエッセンスだと思うんです。
水木
そういう意味でレコーディングは、ものすごく勉強になるんですよ。僕がアニソンを歌う前に習っていた作曲家の和田香苗先生、「新宿ブルース」といったヒット曲も手がけた先生ですけど、非常に曲のシチュエーションを大事にする先生で、いかに空気感、再現性を感じさせるか、「夏の海だったら、砂は熱い」とか「汽笛といっても、汽車と船では感じるものが違う」とか、そうしたことを表現できなかったら、レッスンはそこでおしまい。おかげで想像力がかなり鍛えられました。それから、ブレスの使い方がアニソンにすごくフィットしたんです。僕は、レコーディングの時、単純にマイクに向かってではなく、「テレビの前に座っている子どもが目の前にいるように」と想像して歌っていたんです。今思うと、そうした想いの一つひとつが届いていたのかもしれないですね。
平澤
本当にそうですね。
水木
それと、日本語をはっきりと大事に歌うこと。
平澤
最近は、日本語が綺麗に聞こえない、音節と歌詞がうまく噛み合っていない曲が多い中で、水木さんの歌は、新しい曲でも、はっきり日本語が聞き取れます。
水木
そうですね。例えば、「今日は、晴れているね」という歌詞が、曲では「今日はは、れているね」となる箇所があったら、「これは違うだろう」って必ず言うんですよ。
平澤
気になりますよね。
水木
そうなんです。「その通りに歌ってください。そういう曲ですから」と言われたら楽譜通りには歌うけれど、ちゃんと「晴れているね」と聞こえるように歌います。そうでないと自分が気持ち悪い。
平澤
そういう面からも、水木さんの歌、本当に素敵だと思います。
水木
よく細切れで録音する歌手の人もいるけれど、「細切れでは絶対に通じないよ」と思いますね。だから僕はテイク3くらい録って、後はいいところを繋げてください、いいのがなければ、また録り直します、というのが僕のスタンス。それだけは守っているんです。
平澤
今はそういう録り方、ほとんどしないですね。本当にもう細切れに、細切れに。だから、どこのテイクかわからない。
水木
まあ、僕は2チャン(ネル)の頃からですからね。マルチ(トラック録音)じゃなかったから、「OKを取らなくちゃいけない」という想いがすごくある。でも、だからこそレコーディングが勉強になるんですよね。
平澤
最近、「録音技術の進歩」イコール「音楽の進歩」ではなく、録音技術が進歩すればするほど、むしろパフォーマンス力、音楽力が退化するんじゃないか、そんな風に思ったりしているんです。
水木一郎さん×株式会社フェイス代表取締役社長 平澤 創
水木
そうですよね。音程の上げ下げもできたり、テンポがズレても直せたり。僕が本当に思うのは、「アナログには敵わない」ということです。
平澤
おっしゃる通りです。
水木
1972年に「マジンガーZ」をレコーディングして、その後、何度かアレンジを変えて録りましたけど、最初のマジンガーZの音質には敵わないですよ。
平澤
なるほど。
水木
確かにキレイにはなるけれど、あの味わいは出せない。
平澤
南麻布に日本コロムビアのこれまで108年分の楽曲や資料を保管しているアーカイブセンターがあるんです。ここには、戦前、戦後の資料も、全部残っていて、水木さんの楽曲や写真も保存しています。
水木
今日、ちょうどその話をしていたところです。歌謡曲時代の僕の歌、それからデビュー曲としてレコーディングしたけど、結局、お蔵入りした曲とか、それも残っているらしいんです。絶対にこの曲、無いだろうと思うような曲まで残っているんですね。
平澤
アーカイブセンターは、一般公開はしていないのですが、大学生などからの申し出を受けて見学ツアーを実施したりしています。当社の新入社員も見学に行っていますが、若い人たちが共通して感動するのが、蓄音機なんです。
水木
なるほど。
平澤
蓄音機は、本来は音が悪いという認識です。けれど、確かに音は悪いけれど、一発録りじゃないですか。
水木
ですよね!歌いながら回していくんだからね。
平澤
演奏も一回、歌うのも一回。だからライブを録音する以外に方法がない。
水木
そう。
平澤
そのライブ感というか、息遣いがダイレクトに吹き込まれて、溝に刻まれる。それが再生されるので、蓄音機の音、演奏に感動するんだろうな、やはり録音技術の進歩と音楽の進歩とは関係ないな、と。
水木
僕が思うのは、音楽って生だとテンポ感も走ったり、遅れたり、そんなものなんです。ところが今は、「ドンカマ(リズム・ボックス)」を使って最初から最後までそのテンポで演奏していく中で何かが抜けちゃうんじゃないかな。ノッて来たら早くなるだろうと思うけど、それがない、演奏する人たちも気持ちを抑えながらやっているんでしょうね。
平澤
そうでしょうね。ドンカマはテンポ一定ですからね。
水木
「キャプテンハーロック」の収録はオーケストラ演奏で、指揮者の方が、「水木くん、どう歌うのか聴かせてくれ」とおっしゃってくださって、僕の歌を聴きながら、それでカラオケを録りましょう、ってやってくれたんです。だから、僕がウワーッと盛り上がったところは、やっぱり演奏もブワーッと盛り上がっている。そういう録り方がすごくいいと思いますね。以前、ある女性ばかりのバンドが録音するのに立ち会った際、「ドンカマ」を使うのをやめさせたの。そうしたらものすごくいい演奏になったんだよね。
平澤
なるほど。
今後、音楽はどう変わっていくのか。
平澤
これから音楽そのものをいかに発展させていくのかと考えた時、先ほども申しましたが、「録音技術の進歩」イコール「音楽の進歩」にはならない、と僕は思っているわけです。水木さんも同じお考えだと思うのですが、そうだとすると、今後、音楽ってどういう風に変わっていくのかな、と。非常に難しい時代になって来ているような気がするんですが。
水木
新しい音楽を作っていこうという挑戦は、それはそれでいいですけど、僕自身は原点に戻ることが大事なんじゃないかなと思います。人間オギャーと生まれて赤ちゃんの時には、誰もがキャッチーなものに反応しますよね。それは100年後も変わらないと思うんです。昔はメロディックな曲を作る作曲家がすごく多かったので、日本レコード大賞、紅白歌合戦で歌われる曲は誰もが口ずさめた。でも最近は、世代を越えて一緒に歌える曲がほとんどない。だから覚えやすいメロディックな歌を作ること、これは一つ大事なことかなと思いますね。昔の歌に戻れ、ということではなく、若い人なら若い人が作る新しい感覚のメロディックな曲を作って、誰もが口ずさめる曲が増える過程で、また新しい音楽が生まれてくるんじゃないかと思いますね。
平澤
うんうん。
水木
正直いって、ロックも初めはそうですよね。カントリーウェスタンがあって、エルヴィス・プレスリーが出てきた時には「こんなの音楽じゃない」と言われた。でもその後、プレスリーはロックンロールで認められた。ジャズもモダンジャズが出てきた時には「こんなのジャズじゃないだろう」って言われたけれど、今ではちゃんと認められている。ビートルズの楽曲にも、それまでの時代にはなかったオリジナルがありますよね。
平澤
はい。
水木
エルヴィス・プレスリーも、ビートルズも、オリジナルをプレスリー風、ビートルズ風にアレンジして世に出したら、世の中の人たちみんなが、プレスリーやビートルズのオリジナルとして受け入れた。でも、それらはカバーでも、盗作でも何でもなくて、違う感性をうまく活かした新しい曲。
平澤
確かにおっしゃられるように、僕はテクノロジーの方で、今後、音楽をどうやって伝えていくか、その手段の進化を考えていますが、音楽そのものを考えると、昔の方が良かったこと、合理化によって失ったことも多いんじゃないのかな、と。だから、音楽そのものにおける重要なことって何だったんだろう、ということをもう一度考えてもいいかなと思いますね。
水木
そうですよね。そういった意味では、僕は日本コロムビアは、今すごくチャンスのあるレコード会社だと思うんですよ。なぜかというと、アニソンの歴史は、ほとんど日本コロムビアが築いてきたものですから。ある時、イギリスのロックグループの知り合いが「仮面ライダー」が好きだというので、ライダーシリーズの音源、僕、36曲歌っていますけど、全部送ってあげたらとても喜んでくれたんですけど、彼らに言わせると「日本のロックやポップスは日本独自の音楽じゃない。僕らの音楽の真似だよ」という認識らしく、「ああ、なるほどな」と思ったんですよ。
平澤
なるほど、なるほど。
水木
日本のアニソンというのは独特なんです。だから、海外の人に認められ、世界で受け入れられている。でも、「俺たちはロックだ。アニソンはロックで行こうぜ」と言っている人たちの曲は、これは僕たちの国の音楽の真似だよ、と捉えられてしまう。だからこそ、今、おっしゃったような音楽づくりをもう一回見直す、ということを考えていただきたいです。
継続が文化を創る。
平澤
私は、仕事でもよく「ブームでなく、文化を創ろう」と言うのですが、ブームは一時的、文化は長く続くもので、長く続けるのは難しいじゃないですか。
水木
はい。よく記者の人に「水木さんにとって『アニソン』ってなんですか」と質問されるけど、僕にとっては、逆境の中、手探りで開拓してきた道、それに尽きるんです。今では数え切れないほどのアニソン歌手が生まれ、多くのヒットを飛ばし、日本はもちろん、海外にも羽ばたくようになった。そんな今に至るアニソンの道を作ってきたという自負はありますよね。やはり継続は力なり、かな。だから、今日のこの対談、すごく感謝しています。
水木一郎さん×株式会社フェイス代表取締役社長 平澤 創
平澤
いえいえ、こちらこそありがとうございます。アニソンは今や、日本が世界に誇る文化です。
水木
アニソンがブームだと思っていたら、ここまでやって来られないし、やはりムーブメント、文化として広げてくというのが僕の理想だったんです。そう、アニソンは、世界中どこにいっても、日本語で歌えるんですよ。どの国の人も日本語で一緒に歌ってくれるんです。アメリカンポップスに憧れた僕が、アニソンとめぐりあったことで英語で歌う機会を失うって言うのもおかしいけれど(笑)。
平澤
(笑)。ヒットビジネスを手掛けながら言うのもなんですが、やはり「ベストセラーよりロングセラー」だとよく言っています。
水木
なぜ、そんなに僕が思っていることをおっしゃるんですか。なんだか、僕の自伝を読んでくれたみたいな(笑)。
平澤
いやいや。
水木
僕、ミリオンセラーがないんです。累計ではわかりませんが、少なくとも70万枚、50万枚、30万枚、20万枚くらいのヒットは結構あって、それぞれの作品にファンの方がいてくださる。でも、ミリオンセラーを出した歌手の方ってその印象が強すぎて悩まれることが多い。そう考えてみるとミリオンを出してないからこそ、これだけたくさんの楽曲を歌えたのかなとも思うんです。
平澤
そういう意味でも、水木さんは私の理想に近い活動をされていらっしゃいますし、そういうアーティストだと思っています。
水木
実は僕、3年前から小学校3年生の道徳の教科書に、「個性を伸ばす」というテーマで、「アニソンを世界に広めた人物」として載っているんですよ。小学生の子どもたちが将来を考えるにあたって、「水木一郎のような生き方の人もいるんだよ」という紹介になっているんです。
平澤
本当ですか!すごいですね。だって、道徳ですよ。
水木
はい。音楽の教科書に載る歌手の人はいますが、道徳はいないですよね。
平澤
やはり生き様、そこではないですか。一時的に売れたアーティスト、一時的にヒットを生んだ歌手では、道徳の教科書には載りませんよね。
水木
そうでしょうね。
平澤
やはり水木さんの人生そのもの、生き方は、子どもに与える影響が大きいんじゃないかなと思います。冒頭でも申しましたが、日本コロムビアやフェイス・グループに関わる方、本当にたくさんいらっしゃる中で、この25周年記念企画にお呼びできるのは12名、12組だけなんです。やはり水木さんは絶対に外せないと思いました。
水木
よかったです。平澤社長で(笑)。
平澤
いやいや。本当に、長く続けることは非常に重要ですし、フェイスは25周年ですけど、日本コロムビアは1世紀以上続いている会社です。
水木
そうですね。
平澤
「そういう人いたね、そういう会社あったね」ということが多いこの時代で、現役で長く続けていらっしゃるのは本当にすごい。25周年にあたり、改めて会社とは何かということを考える機会としましたが、「ブームでなく、文化を創る」、「ベストセラーではなくロングセラー」ということを重点的に考えないといけないな、と。
水木
本当にその通りですね。
平澤
そこでやはり50周年という非常に大切な年を迎えられた水木さんに、ぜひヒントをいただきたい、学ばせていただきたい、と思ったわけですが、今日は間違いなく、そうした1日になりました。
水木
人間には当然、欲がありますが、その欲と魅力・実力と、今、与えられている機会が一つに揃えばうまくいくんでしょうね。そうではなく、願望だけが先走って何か一つでも誤魔化してうまくやろうとしてもうまくはいかない。まあ、道徳の教科書に載ってしまったら悪いことはできないし(笑)。
平澤
できないですよね。道徳ですからね(笑)。
人生は全てが必然。
出会いに従えば道は拓く。
水木
人生と言えば、僕、実はデビュー曲が2曲ありまして。実際は、「君にささげる僕の歌」でデビューしましたが、もう一つ「くちづけ」という歌が用意されていたんです。これはもしかしたらヒットしたかもしれないくらい、すごくいい曲だったんです。でももし、「くちづけ」でデビューして、それがヒットしていたら、アニソンを歌っていなかったかもしれない。そうすると、今の僕はいないわけですよね。
平澤
難しいですね。
水木
だから、日本コロムビアさんが「君にささげる僕の歌」をデビュー曲に選んでくれたことに感謝しているんです。その時は売れなかったけど(笑)。
平澤
(笑)。
水木
でもそれは、その後にこういう道が拓けるんだよ、それがあったから今日という日に繋がっているんだよ、ということだと思うんですよね。
平澤
私も50年の人生において思うことは、全てが必然だということです。いい方に捉える、感謝をするということが、全てプラスに働いていく気がします。
水木一郎さん×株式会社フェイス代表取締役社長 平澤 創
水木
そうですね。攻めすぎるのも守りすぎるのもよくなくて、思い立ったが吉日。よく人生、チャンスは1度か2度だと言われるけれど、僕の場合は、10代の頃から必ず年代の終わりにチャンスがあって、だからもう6度もチャンスを得たんです。まずは10代後半にチャンスを掴んで20歳でデビューしてアニソンにも出会い、次に20代後半でチャンスを掴んで「おかあさんといっしょ」のレギュラーになり、30代後半でヴォーカルスクールを始めたり。各年代でそういったことが必ずあった。だから、70代後半にまたチャンスがきて、さらに花開くかもしれない(笑)。それはとても楽しみなことです。実際、今でも嬉しいことに仕事が多すぎて、覚える歌がたくさんあってボケている暇もない。最近は、歌以外にもナレーションなどの仕事も増えてきて、それは幸せなことですが、やはり歌手ですから、この声が出なくなった時には引退かなとは思います。ただ、今のところ、まだまだそんな予兆はありませんけど(笑)。
平澤
今、健康に関しては何かされていらっしゃるんですか。
水木
月一回のペースですけど登山をしています。昨年は富士山の登頂に成功しました。
平澤
それは健康を意識してスタートされたのですか。
水木
そうです。最初は軽いウォーキングから始めたのですが、80歳でエベレストに登頂された三浦雄一郎さんがトレーニングを始めたのは60代と聞いたので、自分もやってみようか、と。だから登山歴はまだ5年くらいですよ。
平澤
そうなんですね。昔から登山がお好きで、いよいよ本格的にご趣味にされたのかなと思っていたんです。
水木
いや、そうじゃないんです。家でゲームしたりする方が好きだったんですけど(笑)。ジムに通い始めたけど飽きちゃって、外をウォーキングすると下校途中の学生たちに遭遇しちゃったり(笑)。どうせ歩くなら山に行こうというで、まず高尾山から始めて、それから関東近郊の山に登り始めたんです。そのうちだんだんハマって来て、それでアニソン登山部を作っちゃった。今、メンバーは21名。NHKの登山番組に出演したり、山の雑誌に掲載されたり、少しずつ活動を広げています。
平澤
そういう活動いいですよね。楽しみながら体力もつく。
水木
立山や木曽駒ヶ岳、那須岳といった百名山や、屋久島にも行きました。アニソン登山部は、山の風景に癒されて、土地土地の美味しいものを食べて、温泉に浸かって、お疲れさんして帰ろうよ、というのがコンセプトなんです。
平澤
ああ、いいですね。美味しいものを食べるのも重要ですよね。
水木
重要です。
平澤
まだまだこれからも楽しみですね。
水木
体が健康であれば、新しい発想も生まれるし、アイデアも浮かびます。あと、なぜ登山がいいのかというと、山には必ず頂上があるからなんです。僕らの仕事には頂上はない。今、頂上かなと思っても、まだまだ上がある。だから、レコーディングがうまくいっても、本当の意味での達成感はないんです。でも山には必ずてっぺんがあるので、そこでストレスを解消しているという面もありますね。
平澤
なるほど。水木さんは常にピークを目指していらっしゃるということがよくわかりました。繰り返しになりますけど、水木さんの人生、本当に尊敬すべき生き様だと思っています。
水木
ますます悪いことできないな(笑)。こちらこそ、大変失礼ですけど、同じことを考えてくださっている方がいて嬉しかったです。
平澤
本当にありがとうございました。
水木一郎さん×株式会社フェイス代表取締役社長 平澤 創
水木一郎さん×株式会社フェイス代表取締役社長 平澤 創

水木一郎(みずき・いちろう)さんプロフィール

1948年、東京生まれ。アニメソングのパイオニアであり、「アニキ」の愛称で親しまれる「アニメソングの帝王」。1968年に日本コロムビアからデビュー。1971年の『原始少年リュウ』の主題歌を皮切りに、『マジンガーZ』『キャプテンハーロック』といったアニメソング、『仮面ライダー』シリーズなどの特撮ソングを中心として持ち歌は1,200曲超。フランス、中国(香港・広州・上海・厦門)、韓国、シンガポール、タイ、インドネシア、コスタリカ、ベトナム、台湾といった海外での公演を成功させるなど、活躍の場は日本にとどまらず、インターネット百科事典ウィキペディアには現存する日本人最多の90言語で掲載されるなど、海外からの関心は群を抜いている。歌手デビュー50周年を迎え、アニメソングという宝をさらに世界に広め、次の世代に継承すべく、新たな挑戦は続く。

水木一郎公式サイト
http://mizuki-spirits.com/

配信中 「真夜中のスーパーカー」/水木一郎 with MC-MEGUMI & 深沢敦
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「水木一郎 ベスト・オブ・ベスト」COCX-39012¥2,000+税