加山雄三さん × 平澤創 [対談]
加山雄三さん × 平澤創 [対談]

フェイス25周年記念Webサイト・スペシャル対談企画1

【これまでの音楽、今の音楽、そして、これからの音楽へ】
加山 雄三さん×株式会社フェイス代表取締役社長 平澤 創

音楽との出会い
平澤 創(以後平澤)
フェイスは、1992年に創業して今年で25周年、私も50歳を迎えました。
加山 雄三さん(以後加山)
それはめでたい。おめでとうございます。
平澤
ありがとうございます。今回は創業25周年を記念して、ご縁のある方たちにご協力いただくスペシャル対談を企画しました。フェイス・グループには、日本で最も古いレコード会社である日本コロムビアがあります。今年3月には、加山さんが所属いただいているドリーミュージックも新たにフェイス・グループの一員になりました。そのドリーミュージックのトップアーティストである加山さんにこの対談のトップバッターをお願いしたくお招きいたしました。
加山
それは光栄なことです。ありがとうございます。
平澤
加山さんも今年、生誕80周年ですよね。私の両親の世代なんですが、本当にお若い。その若さの秘訣は何なのでしょう?
加山
よく寝ることですよ(笑)。
平澤
寝ることですか?
加山
睡眠は平均8時間半が理想です。足りないと、睡眠負債をどんどん重ねていくことになる。僕はね、昔からずっと8時間、9時間とよく寝る方で、ついこの間なんて18時間も寝てしまいましたよ(笑)。
平澤
18時間ですか!
加山
そう(笑)。寝られるっていうことは非常に良いことなんです。年を取ると眠れないとか、眠るのにはエネルギーがいるとか言いますが、それはきっと違いますね。エネルギーがなくなれば、人間誰だって寝られるはずです。基礎代謝量が減って、エネルギーが使い切れなくなっている方が眠れないんだと思います。運動したら絶対寝られます。
平澤
なるほど。その若さ溢れる加山さんの音楽のルーツからお伺いしてもいいですか。
加山
もちろん、カントリー・ウェスタンです。高校一年の頃カントリー・ウェスタンの妙な響きに魅せられちゃって。エルヴィス・プレスリーを真似してギターを弾くようになりました。でも、そもそものルーツはピアノです。14歳の時、バッハみたいな曲が作れそうな気がして、ピアノにちょっといたずらしチェンバロみたいな音を出して、デタラメな曲を1人で弾いたんです。まあ、完全なデタラメではないですけど。気付かぬうちに後ろで父親が聞いていて、突然「それはなんていう曲だ?」と。「いや、自分で作ったんだ」と答えると、「それはすごいな。お父さんはピアノコンチェルトが大好きだから、いつか勉強して曲をプレゼントしてくれ」と言われたんです。その時、ピアノコンチェルトの第一楽章第一主題は頭の中に生まれていました。
平澤
生まれてくるというのは、イメージが天から降ってくるってことですよね?
加山
そうですね。わかります?
平澤
はい、実はわたしも作曲をやっているので。最近はなかなか降ってこないんですけど(笑)。
加山
変に考えない方がいい。ただ楽しんでやる。楽しむこと!(笑)。
僕は「自分はプロで、これで飯を食ってるんだ」とか、「これが成功したら…」とか変に欲を張ることなく、音楽は生涯の親友だと思ってやってるんです。
平澤
なるほど。加山さん、ギターはモズライトをお使いですよね?すごいマニアというか(笑)。今でもモズを使っていらっしゃるってすごいなぁと。きっかけは何かあったのですか。
加山
ベンチャーズはご存知ですよね?
平澤
はい、もちろん。
加山
すべてエレキでやるバンド“ベンチャーズ”が出てきた時、「わあ、かっこいいなあ」と憧れました。その憧れのバンドと共演できる機会があって、一緒に弾いたんです。そうしたら初代ベーシストで、2代目リードギターも務めたノーキー・エドワーズが「big hand」って言って、僕にワンセットプレゼントしてくれたんです。「big hand」というのは、「まあ良い腕している」と言う褒め言葉かな、と喜んでね(笑)。それからずっと使っています。独特の音がするんですよ。コンプが効いていて、ものすごい圧がある。ジャズマスターも、ストラトキャスターも、色々なギターを弾きましたけど、モズライトが音的に一番僕に合っている。じゃじゃ馬的で、言うことを聞かないギターですからね(笑)。
新たなことへの挑戦と周りを驚かせる喜び
平澤
加山さんは早い段階から多重録音など新しいことにチャレンジされていますよね?
加山
多分、日本で多重録音したのは、僕が初めてだと思いますよ。当時はまだマルチトラックのテープレコーダーなんてない時代ですから。
平澤
実は大学生の時、それは80年代後半だったんですけど、僕もシーケンサーを使って、多重でいわゆる打ち込みをやっていたんです。
加山
そうなんですね。
平澤
当時、コンピュータを用いて打ち込みをやっている人は、かなり少なかった。80年代初めに「フェアライトCMI」というサンプラーが出て、80年代の後半には「シンクラヴィア」が日本にも入ってきた。現物がどこにあるのか調べてみたら、加山さんが個人でお持ちだって噂を聞いたんですけど、本当ですか?
加山
本当です(笑)。
平澤
これマニアック過ぎる話なので、何の話をしているか分かる人はあまりいないかもしれないですけど(笑)。
加山
そう、日本に3台しかなかったんですよ。スタジオとクラシックの作曲家と僕のところと。「シンクラヴィア」の前に「Emulator II」というサンプラーを手に入れたんです。どんな音でもサンプリングして出せるやつ。さらに、8トラックのテープレコーダーを手に入れて、1チャンネルずつ重ねて音楽を作っていました。「シンクラヴィア」は、当時6千万円でした。ローンで手に入れたんですよ。
平澤
すごいですね。そう、だからその時すでに、私の人生の中に加山さんのお名前が出てきたんです(笑)
加山

そうですか。そのときからご縁があったんですね。導きが(笑)。

当時、「加山雄三ショー」という番組があったんです。NHKで個人の名前が冠名に付いた最初の番組だそうですけど(笑)ゲストは五輪真弓さんや谷村新司さんといった自分で曲を作る人たち。その方たちが書いた詩に、「加山さん曲をつけてくださいよ」という番組だったんですよ。乱暴ですよね(笑)

平澤
それは興味ありますね。
加山
番組の収録が終わったら、帰ってすぐにシンクラヴィアで演奏しながらその詩に曲をつけて、ひと晩かけてオーケストラで曲作って、仮ボーカルを入れる。これ、宅録ですよ(笑)。翌日持って行ったら、みんな驚く。どこのオーケストラに、いつ演奏させたんですか?って、聞いてくる (笑)。
平澤
いや、当時はそうですよね。今はもうこのような制作手法が主流ですけど。
加山
そう今は簡単。でも当時、プロデューサーは仰天していました。まあ仰天させるのが嬉しくてね(笑)。
平澤
80年代ですよね?「Emulator II」や「シンクラヴィア」は、何分でも何十分でも音源が取れましたけど、日本にあったサンプリング・キーボードはローランド社製で7.2秒×2の14.4秒しか取れなかったんです。それで8トラックのテープレコーダーを手に入れて私も多重録音をしていました。ちょうど同じ頃です。
加山
歳は30年も違うけど。
平澤
私は関西のテレビでBGMの仕事などをしていたんですが、今、加山さんがおっしゃったように、「どこで録音してきたんだ?」って驚かせるのが私も好きだったんです(笑)。
加山
(笑)。
これからの音楽業界は出前産業
平澤
加山さんと私は世代は違いますが、同じ頃にいろいろな工夫をして音楽を創っていました。今は何でも簡単に作れてしまう環境にありますが、これからの音楽はどうなっていくと思われますか?
加山
全然、心配しなくて大丈夫ですよ。今、若者と一緒になって色々なことをしていますけど、いいものはいいです。いいものは心に触れるんですよ。心に響く音、なんだか知らないけど。これいいよねっていう音。
平澤
そうですよね。
加山
必然的に心に響く旋律、みんな誰もが音楽に響く感性って持っているんだよね。「なぜか分からないけれど、好きなんだ」という音がある。その源は、不変のものじゃないかって思うんですよね。
平澤
わかります。
加山
不変のものに触れた音楽ができたら、それはいわゆるヒットになる。時代が変わっても、それを乗り越えるいい音楽っていうのは絶対にある。ジュピターなんて、100年も前に書かれた曲じゃないですか。それが現代の大ヒットに繋がるというのは、心に響く旋律っていうのがやっぱりあるんですよね。
平澤
ずっと音楽をやってきた自分としては、すごく共感します。今、AIがどんどん進み、作曲も自動的にできると言われていますが、結局、人の心を揺さぶるのは人しかないと思っているので、僕はやっぱり、加山さんが言う通り、人は人が創ったものにしか心を動かされない、共感できないのではないかと思っています。
加山
その通り。
平澤
1992年、今から25年前に起業したわけですが、その時期はCD全盛期でCDが何百万枚と売れていた頃なんです。でも同時に、インディーズも生まれ始め、ミリオンCDと5千枚とか1万枚ぐらいのCDとバリエーションが出て、ロングテールマーケット化し始めていました。
加山
そうですね。
平澤
そういう時代に突入するなか、アメリカで軍事目的に開発されたインターネットが民間にも開放され、いよいよ日本でも利用できると見越しての創業でした。結局95年頃になって普及し始めたので、92年の創業はちょっと早すぎたかなとも思います。そして現在は、かつてのレコードやCDといった形だけではない、音楽を伝える方法が混沌としている状況にあります。音楽の伝え方は100年に一度の大きな変革期を迎えています。未来に向けて音楽そのものは変わりませんが、音楽を伝える方法を変えていく。フェイス・グループは、加山さんが所属いただいているドリーミュージックも一緒になって、まさに今、挑戦をしているわけです。
加山
たとえば、音楽フェスとかで何万人もの前で歌ってる人たちの曲の中にもすごいのがいっぱいあります。けど、それが、年配層には届かないっていう環境がある。方法はいくらでもあるので、自ら興味を持てば必ず入ってくる。けれど、ただ、ぼーっとテレビだけ見ていたら、ドラマのテーマソングやコマーシャルソングにならないと入ってこない。
平澤
はい。
加山
それは、耳に入ってくる環境が乱雑になってしまっただけだと思うんです。だから、単にCDで稼ぐんだというスタンスはもうダメで、総合的にどういうルートで音源を届けるのか、どうリンクさせるのかという方法の選択肢を増やすことですよね。種を蒔いて、太陽が当たっているところには、こう芽が出ていくとか。そのようなことを全体に認知させるための選択肢をはっきりさせる研究をそれぞれがしていくべきだと思います。きっとフェイスにもそうした専門の人がいて、このルートだったら、どうだこうだってやっているんでしょう?
平澤
おっしゃる通りです。私が普段、言ってることと同じです。今の音楽業界がやっている手法って、昭和のまま、ずーっと変わっていない。徐々に変わり始めてはきていますが、ありとあらゆる方面に視野を広げて、音楽をユーザーにいかに届けていくかを進化させていくのが大事なんでしょうね。
加山
出前産業にならなきゃいけないんですよ(笑)。
平澤
出前産業、いい言葉ですね(笑)。
加山
だって我々、毎日、同じことやっているようで、実は全然違うじゃないですか。トイレひとつとってもね。田舎で昔のトイレとかに遭遇すると愕然としますよね(笑)。ましてやしゃがんでなんて、もう足がしびれて大変ですよ。今はきれいに洗ってもらって乾燥までしてくれる(笑)。それだけ時代が変わってきているのに、音楽業界だけ変わらないなんてダメですよ。
平澤
おっしゃる通りです。本当に勉強になりました。違うアプローチからの新たな気づきもたくさんいただき、ありがとうございます。

加山雄三さんプロフィール

1937年4月11日神奈川県生まれ。1960年東宝入社。「男対男」で映画デビュー。歌手として1965年に「君といつまでも」が大ヒット。THE King ALL STARSとしての活動も注目され、全国のロックフェスにも参戦するなど80歳を越えた現在も現役で活躍中である。

「加山雄三の新世界」/加山雄三
「加山雄三の新世界」MUCD-1380
「Respect KAYAMA YUZO」/加山雄三
「Respect KAYAMA YUZO」MUCD-1383
「加山雄三のすべて 幸せだなぁ。ベスト&レア音源集」/加山雄三
「加山雄三のすべて 幸せだなぁ。
ベスト&レア音源集」MUCD-1400/1