別所 哲也さん × 平澤創 [対談]
別所 哲也さん × 平澤創 [対談]

フェイス25周年記念Webサイトスペシャル対談企画2

【人生は起承転結より「奇想天外」の方がいい】
別所 哲也さん×株式会社フェイス代表取締役社長 平澤 創

デビューはハリウッド映画。
平澤 創(以後平澤)
フェイスは、この10月9日で創立25周年を迎えました。25歳の時に起業して、私が今年で50歳。一つの節目になります。
別所 哲也さん(以後別所)
おめでとうございます。
平澤
日本は10年、20年を節目としますが、海外では、半世紀、四半世紀を節目としていますね。今回、25周年を迎え、個人的に尊敬する方や当社に関わっていただいた方をお招きし、対談をさせていただこうと考え、当社の社外取締役でもある別所さんをお迎えいたしました。
別所
それは大変光栄です。
平澤
振り返ると、別所さんとのお付き合いも結構長くなりますね。
別所
明治神宮外苑の絵画館で開催されたフェイス創立15周年の記念イベントの時にもお邪魔していますので、出会いは十数年前でしょうか。
平澤
その頃、別所さんは、米国アカデミー賞公認映画祭となった「ショートショートフィルムフェスティバル」を既に立ち上げていらっしゃいましたね。
別所
立ち上げたのは1999年ですので、来年で20周年になります。
平澤
この映画祭は当時からかなり先進的で、お会いした時、映画に後から音楽を付けるのではなく、それとは逆パターンで、既存の楽曲にインスパイアされてショートフィルムを制作する部門を作るというお話だったと記憶しています。
別所
その通りです(笑)。
平澤
出会いの頃から、経営者としてのバランス感覚はすごいなと感じていました。そのルーツは、別所さんの最初の映画出演はハリウッドじゃないですか。その時に、日本の芸能界との違いを見せられた経験が大きな影響としてあったのではないかと思っているのですが。いかがですか。
別所
そうですね。大学卒業後にまったく無名ながらハリウッド映画でデビューするというチャンスをいただきました。平澤さんがおっしゃるとおり俳優としての色々な気付き、出会いや目覚め、あらゆるものがそこからスタートしたわけです。
平澤
どのような気付きでしたか。何か驚かされるような。
別所
はい。最初に、ボンッと英文の分厚い契約書を目の前に置かれて、「これにサインしなさい」と言われました。それは、スクリーン・アクターズ・ギルド、いわゆる全米俳優協会の契約書で、サインすると「これであなたはギルドのメンバーになります。おめでとうございます」と。けど、それは俳優という仕事をやる上で、自分が果たすべき責任に伴う報酬があり、その報酬に自らが責任を持つという意味なわけです。その場にいた弁護士さんから「これからは、エージェント、パーソナルマネージャー、パブリシスト、アカウンタント、そして弁護士と、その5人は人生においても必要だし、俳優として仕事をしていくのにも必要です。」とはっきりと言われました。それが23歳の時。ちょっと度肝を抜かれましたね。
別所 哲也さん×株式会社フェイス代表取締役社長 平澤 創
平澤
日本とは仕事に対する考え方が異なりますね。
別所
日本だと俳優は財布なんて持ち歩かないもんだとか、お金の話はしないほうがいいって言うんですけど、アメリカでは違います。一緒に働いているヘアメイクもカメラマンもみんなが個人の責任で組織を組んで、いいものを作るためにそれぞれがどう技能を生かして、どう対価を得るかということに注力しています。非常にドライなようで、非常にヘルシーなビジネスマインドがありました。それがきっかけというか、気付きであった気がします。
平澤
日本の俳優さんに会うと名刺は持っていなくて、「顔が名刺だ」みたいなところがありますよね。マネージャーも事務所が雇っている。アメリカは違います。
別所
はい、俳優個人が選んで、責任を持ってその人と契約を結ぶ。ビジネスパートナーとしてつき合う。
平澤
そういうところがあるからだと思うのですが、別所さんはすごい経営者だなって思っています。突然、フェイスの社外取締役の就任をお願いしたように思われているかもしれませんが。
別所
驚きましたよ。私でいいんですか? って、何度も聞きましたよね。
平澤
別所さんは、本当に色々なことをされているじゃないですか。例えば、映倫(映画倫理機構)の委員とか。
別所
最年少で起用されたこともあり、私も依頼された時には戸惑いました。知見もありませんし。けれど、私のように色々な映画祭を通じて様々な国の人と交流している人間に委員として入って欲しいというお話があり、お受けしました。過去には、国家権力が介入して表現を抑制したり、自粛したりという時代もありました。二度とそういうことになってはならないという歴史的な背景を聞いて、やはり表現に関わっている人間が伝えたい内容と伝えられる側が違和感を持つことがないように、それをどう橋渡しするかということが大事だと思っています。
平澤
その通りですね。実は、社外取締役をお願いしたいと思ったきっかけは、内閣府の知的財産戦略本部で偶然にもお会いした時です。社外取締役は、客観性が重要です。このような政府の機関においても客観性が必要とされます。先ほどの映倫の話もそうですが、別所さんは客観的に話をされる。その一方で、もちろん専門的な視点もある。ぜひ社外取締役をお願いしたいというのは、実は随分前から考えていたんです。
別所
恐縮です。
平澤
フェイス・グループの根底にはエンターテインメントがあり、別所さんとそこが繋がっているのはとても重要なことで、その上で客観性あるご発言をいただけると思っています。
別所
あえて平澤さんとの共通点を上げるとすると、根っこにエンターテインメントがあるということだと思います。人を豊かにする、ハッピーにしたりすること。人間は、ただ食べて寝るだけではなくて、そこに彩りだとか、感動とか、その中心に音楽がある。それをきっちりとビジネス化したり、どの様に人を幸せにするかを考えてビジネスに入っていくところに共鳴していますし、尊敬しています。
もっと世界へ。「アクター」であり続けること。
平澤
フェイス・グループが最初に世界に羽ばたいたのが1995年。今回、創業25周年にあたり、もっともっと世界に発信していくこと、特に急成長しているASEANで、エンターテインメントナンバーワンを目指していくことを実行していきたいと考えています。EUはEUでまとまっていて、アメリカはアメリカで一つの確固たる地位がある。アメリカを意識してもいいけれど、ASEANでのナンバーワンというのも一つの目標です。別所さんから見て、最近のASEANの状況はどうですか。
別所 哲也さん×株式会社フェイス代表取締役社長 平澤 創
別所
映画祭や映像事業でASEAN各国に行きますが、非常に魅力的です。マーケットとしてもですが、ASEANを大きく捉え、オセアニアのオーストラリアやニュージーランドのような国々も含めて大アジアとすれば、トルコまで大きな世界観で映像を見ていけることが魅力の1つですし、東南アジアにあるエネルギーもすごく魅力的です。映画のコンテンツですと、すでにインドは有名ですが、それ以外だとフィリピン、それからタイ、インドネシア。映像制作者やストーリーテラーからも日本に対する尊敬の念を感じます。それはアニメも音楽も然りです。
平澤
そうですね。私も同じように感じています。
別所
はい、日本への憧憬というか、彼らの日本と関わりたい、日本と仕事がしたいという思いにはすごく強いものがあります。音楽家がウィーンを目指し、芸術家がパリを目指したように、21世紀の新しい映像のインターネットビジネス、あるいはITを用いて人々を幸せにする知財は、日本、東京を目指すという時流がアジアにできたら、それはすごいことだなって思います。
平澤
別所さんは本当に知見が広いのですが、最終的な夢は何ですか。
別所
その原点として、ハリウッドデビューした時にいただいた言葉がいくつかあります。一つは、ジョージ・ルーカスに言われた「アクターというのは行動する人だ」という言葉があります。アクターは、演技をする人ではなくて行動をする人だと。だから、自分から発信して行動することの原点がアクターであるということに凝縮されている気がしています。
平澤
すごくいい言葉ですね。むしろ、私はそちらのほうに共感します。
別所
もう一つ、ハリウッドで「日本は映像知財があるのに、なぜそれを世界に発信していかないんだ」と言われたんです。手塚治虫先生とか様々なコンテンツがあるのに、と。僕がハリウッドに行っている時もハリウッドのクリエイターが落語を勉強していました。
平澤
落語ですか。
別所
落語の中にある奇想天外さとか、日本の昔話というのは、すごく面白いファンタジー映画になる。なぜ、もっとそれを研究して、新しくリバイバルするプロデューサーやクリエイティブが日本にはいないんだと言われて、はっとしました。
平澤
確かにそうですね。
別所
時代が動いている中で、本当に世界に通じる、日本から発信するエンターテインメントコンテンツ、プロデューサーの人たちの橋渡しをする仕組み作りをしたいと思っています。自分自身もそうなりたいですし。
平澤
お話を伺っていて、別所さんのベースにあるプロデューサーそのものに対する考え方について、私も全く同じです。
別所
ありがとうございます。
先見の取り組みにやっと時代が追いついてきた。
平澤
最近、ブランデッドムービーが話題になっていますが、別所さんはまだ名前が付いていない10年以上前にお話されていたと思います。もともとそういう発想になったのには、何かきっかけがあったのですか。※商品に対する直接的な宣伝は行わず、ストーリー性によって共感を得ることにより、間接的に商品やサービスの認知・購入につなげていくための動画。
別所
一つは、世界中の色々な人たちと繋がって、色々なアイデアや価値基準とかエンターテインメントと触れる人たちに出会っていく中で、インターネットの時代がきて、音声配信の次に動画配信がやってくるとアメリカで言われたのが、「ショートショートフィルムフェスティバル」を始める前の1997年でした。
別所 哲也さん×株式会社フェイス代表取締役社長 平澤 創
平澤
Windows95が出て、インターネットが普及した時代ですね。
別所
そうです。Windows95が出て2年後、まだアメリカ西海岸のシリコンバレーのエンジェルたちが次の動画コンテンツをどういう風に考えるべきなのか、どういう時代がやってくるのだろうかという議論のなかで、企業が自分のメディアを持つ時代になる、いわゆるオウンドメディアとかコーポレートメディアと言われるものですが、その中で必ず個々がエンターテインメントを発信する時代になると。シャネルやティファニーといったラグジュアリーブランドはブランデッドムービーの先駆けです。マス向けではなく、特定の人たちに、特定のアトラクション、アミューズを与えるひとつのツールとして、ショートフィルムに目を向け始めた。BMWがBMWフィルムズを作って、マドンナが主人公で出てくるようなショートフィルムをダイレクト・マーケティング・ツールとして作り、インターネット上に展開していったんです。
平澤
個人がメディア力を持つ時代の先駆けですね。
別所
そう、共感するためのメディアとしてショートフィルムが存在するんだと思った時に、私がコペルニクス的に転回したのは、私たちが言うエンターテインメントは、アート、ファインアート、そして、パフォーミングアーツ、ビジュアルアーツ、デジタルアーツ、これらは全てコミュニケーションアートなんだ、と。今の時代は、コミュニケーションするためのツールがあって、たとえば本を読んで内省するより、「こんな素敵な本があったよ」と繋がることを人間は求めている。それを発信する人と受け取る人がいて、受け取る人がまたインフルエンサーになって広げていく。実は、ここがビジネスであり、人間の本質なんだと思ったんです。
平澤
これからは、個人がメディア力を持つ時代が必ず来ます。たとえば、テレビのレギュラーが決まるより、インスタのフォロワーが増えたほうが嬉しいと言っているタレントさんの話も聞いて(笑)。
別所
実際、もう始まっていますよね。その人がどのくらいのメディア力を持っているかを計るのは、単にフォロワー数だけでなく、クオリティであったり、どういったターゲットに、どう受け入れられているのかによって、はっきり見えてきます。これからは、国境や言葉も超えてどんどん繋がっていくな、と。
平澤
広告宣伝費を考えた時、具体的にどういう効果があって、どんな結果が出たかをデータ化することが標準化されつつあるじゃないですか。テレビは、その効果が一番わかりづらい。けれど、インターネットはわかる。
別所
はい、トレースできますよね。
平澤
だから、みんながそっちに広告宣伝費をシフトしていく。ネットメディアっていきなり2時間は見ない。せいぜい1分から10分以内。面白かったらもっと見るけど。だから、別所さんがなぜショートフィルムだったのかということがわかったんです。もう10年以上も前にそれを考えられていた。先進的な人だなと思うのはそこなんです。ブランデッドムービーは、今はまだ黎明期でも、今後もっと化ける気がするんです。
別所 哲也さん×株式会社フェイス代表取締役社長 平澤 創
別所
はい、化けたいと思っています(笑)。実は、面白いデータがあって、動画でも静止画でも、人間は15秒で自分と関係あるかないかを判断しているらしいのです。だから、20世紀の先輩たちが作ったCMのフォーマット15秒っていうのは、心理学的に間違っていない。じゃあ、15秒単位で人の気持ちをその先へ運ぶためには、どういう風にすれば共感するメディアになるか、コミュニケーションアートになるか、コミュニケーションコンテンツになるかということを、最近、演者としても、ラジオでも、すごく考えています。
平澤
そこには確実にイノベーションが必要です。今までやってきたこと、価値観、その仕組みが大きく変わっていく過渡期に来ている。別所さんや私の世代が、今までのものを理解しつつ、変えていかなきゃいけないと本気で思っています。私たちはその最初の行動者、アクターにならないといけない。私はそのリーダーに別所さんがなっていただけるのではないかなと期待しています。
別所
なりたいですね。どんどん世界中の人と繋がっていきたいと思っています。
これからのエンターテインメント。これからのフェイス。
平澤
先ほどの別所さんの理論でも、コンテンツは発信者からダイレクトであるべきじゃないですか、本来は。私は10年後にCDが残るかどうかという議論でいうと、残るとは思っています。ただちょっと考え方をシフトしなくてはいけない。まだ日本は、パッケージビジネスが主流ですが、このままのやり方が10年後も続いているかと聞くとその様に考えている人はいません。でも10年後に音楽がなくなると思う人と問うと手を挙げる人は1人もいない。
別所
音楽は絶対になくならない。人生において、絶対に必要なものだと思います。音楽は生きがいを与え、五感を動かす。耳から入ってくるその音で勇気づけられたり、そのリズムによって一日が決まったりする。音楽療法はモーツァルトの時代からありますが、それをエンターテインメントとして捉えるのか、日常必要なライフスタイルツールとして捉えるのか。新しいアングルで音楽を商材化する仕組み作りや商品サービス作りは、20世紀的発想ではできないでしょうね。
平澤
そうなんです。そこで「いかに音楽を届けていくか、どういうスタイルで音楽を届けるべきなのか」がフェイス・グループの根幹にあるテーマです。インターネットがある今、すでに音楽の聴き方はすごくたくさんあります。音楽の作り方も今後、変わって来る可能性があります。音楽は本当に面白い産業だと思います。その中で、私たちがこれからどうしていくのかを見届けていただきたい。逆に言うとチャンスはたくさんあるわけですから。
別所
面白いですね。これからどう進むのか、フェイスの核に当たるところですね。
平澤
実は、ぜひ別所さんをお連れしたいところがあります。
別所
どこですか。
平澤
一般公開はしていないのですが、日本コロムビアにあるアーカイブセンターです。日本コロムビアは1910年創業なので107年の歴史があります。そこには、戦前戦時中の検閲で世に出てない音楽も全部残っています。
別所
オリンピック前までにぜひ。
平澤
オリンピックといえば、最初の東京オリンピックの東京五輪音頭も日本コロムビアです。そういう意味で、2020年にもう一つの節目がくるなと思っています。
別所
2020年は、21世紀に入って20年目。まさに21世紀生まれの人たちが成人して、この世の中を引っ張っていく時代になります。
平澤
だから、そこに向けてひとつの山を作っていきたいと思っています。そう、「ショートショートフィルムフェスティバル」もですよね。
別所
はい、来年で20周年。成人を迎えます。
私は、人生は起承転結より、「奇想天外」のほうがいいと思っています。フェイスもまさに「奇想天外」な会社であって欲しいし、世代も国境も越えてやりたいことをいっぱい持っている人たちがフェイスに集まって来るような、そういう場所であって欲しいし、あり続けて欲しいと思っています。
平澤
夢が無くなると人は生きていけないし、夢を描けるのは人だけだから。別所さんとは、その想いを共有していると思っています。お互いにフィールドが違うからこそできるところもありますし、お互いに客観的に見ることができると思っています。
本日は、ありがとうございました。
別所 哲也さん×株式会社フェイス代表取締役社長 平澤 創
別所 哲也さん×株式会社フェイス代表取締役社長 平澤 創

別所 哲也さんプロフィール

1990年、日米合作映画『クライシス2050』でハリウッドデビュー。米国映画俳優組合(SAG)メンバーとなる。その後、映画・ドラマ・舞台・ラジオ等で幅広く活躍中。1999年より、日本発の国際短編映画祭「ショートショート フィルムフェスティバル」を主宰。内閣府・「世界で活躍し『日本』を発信する日本人」の一人に選出。2017年6月に当社社外取締役に就任。