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25歳の社員たち × 平澤創 [対談]
25歳の社員たち × 平澤創 [対談]
25歳の社員たち × 平澤創 [対談]
同じことをするにも違う視点を持てば、
新しいフィールドは拓ける。
平澤社長10月9日、フェイスは創立25周年を迎えました。今日、集まってもらったみなさんと同じ年ですね。
高良はい。私、実は10月10日が誕生日なんです。
平澤社長フェイスを設立した次の日に生まれたなんてびっくりですね。月日がたつのは早いものです。
西村本日は25歳の社員を代表してまいりました。宜しくお願いいたします。
せっかくの機会ですので、色々とお伺いできればと思います。最初に私からお聞きしたいのですが、平澤社長は、25年前、25歳でフェイスを創業されました。どうしてその時に会社を作ろうと思われたのですか。
平澤社長もともとは音楽で食べていこうと決めていて、大阪芸術大学時代も4年間、音楽活動をしていたし、音楽事務所でも学生ながらスタジオワークもこなしていた。だけど、色々あってその音楽事務所に入る選択をせず、地元のゲームメーカーの任天堂に入社した。任天堂では「マリオブラザーズ」の音楽チームに配属されたけど、自分が目指す方向の音楽制作ではないので、このまま続けていてもいいのかと迷っている時に、私が行こうと思っていた音楽事務所がありえないくらい空前のヒットを連発しちゃって。その時にやはり自分は音楽で食べていこうと思ったんだけど、前に断ってしまっている音楽業界には戻れない。それなら、違うやり方で音楽に触れていく仕事を考えようと思ったわけ。その時、学生の頃から考えていた、当時アメリカで普及し始めていたインターネットを活用することを思いおこした。その当時のインターネットって、アメリカの国防省、ペンタゴンが使っていて、ちょうど民間に開放し始めた頃だった。当時の日本は、アナログ回線を使ったパソコン通信しかなくて、ハードウェアも1MBしか記録できないフロッピーディスクだけ。1GBじゃないよ、1MB。その1MBを送るのに、すごい時間がかかっていた時代。そんな時に、将来、インターネットを通じて情報が行き来する時代になるだろうと予測して立ち上げた会社がフェイスだった。
西村音楽をやりたいと思って、それでいて今で言うところのIT業界に会社を作ったのは、やっぱり発想が違うな、と思いました。
平澤社長これは企業理念の「あるものを追うな。ないものを創れ。」にも関わることだけど、既にあるマーケットで競争しても無理だなと思った。同じ領域、同じ業界に入ったら、相手は資本力も経験も人脈もあるし、負ける確率が高い。そんなところに25歳の自分が入っていったところで、まあ勝てないなって。競争にはならないところ、ブルーオーシャンを狙った方が勝てる可能性は高いよね。だから、ここの領域なら戦えるかなと思って。コンピュータと音楽をどうするかなんて、音楽業界はまだそんなに進んでなかったからね。いい音楽を作ろうとするのはみんな同じ。でもちょっとフィールドを変える。そうすると、やっていないことがいっぱい見えてくる。それがすごく重要です。
高良やっていることは同じように見えて、フィールドを変えるっていうのは、見方を変えると言うことですか。
平澤社長例えば、スタジオワークがあるでしょ。今ではひとりでCD発売ができるクオリティの音源を作るなんて当たり前だけど、当時はものすごく特殊な技能が必要だったから、みんなで分業していた。専門学校では、みんながこぞって複雑な機器を使い、制作技術の練習をしていた。その競争はすごく大変。でも私は、その競争には入らずに、違う方法で音源をひとりで制作することができた。違う観点を持つだけで、同じことをするにも違う視点から物事が見えてくるんじゃないかな。
自信はなくても、
勢いがあるという直感は信じた方がいい。
田中私も起業に関するところで、平澤社長の自信の源とか、専門性はどこにあったのかを伺いたいです。
平澤社長正直いうと、自信なんてなかった。
田中え、そうなんですか。確固たる自信があって、起業という決断をされたのかと思いました。
平澤社長さっきの話の流れで言うと、自分が目指す方向ではないゲーム音楽をこのまま漫然と作り続けて行くのかという葛藤もあったし、もう一度音楽業界に頭を下げて戻る選択肢もなかった。普通は転職を考えるのかもしれないけど、私の場合は、自分で会社を作ってやろうと思った。でも自信は無かった。ただ会社って、最高の人たちを集めて、自分一人ではできない大きなことをしていく、音楽プロデューサーと同じチームづくりが仕事だと思うんだよね。会社を作った頃は、私はサービスを考えたり、クリエイティブ面のことはできても、会社法とか、経理のことはわからなかったから、詳しい人と一緒にやることで、一人でやるよりも可能性が大きくなるだろうな、と。その分野が得意な人たちを集めていくのが、会社の仕事だから。あとは、失敗してもまた起き上がれるかなという思いがあったから、スタートできたんだと思う。自信はない。自信がある25歳がいたら、ここに連れて来いって。(笑)
田中そうですね。これならいけるというアイデアはありつつも、そこに自信はなかった。それでも起業という行動をとられたのですね。
平澤社長自信があるって言うのは、嘘だと思う。ただ、自信はないけど何か勢いがあると直感的に感じることがある。それは信じた方がいい。それにブレーキを踏む人というのは、経験をたくさんしてきてる人。確かに経験は必要だけど、経験が邪魔すること、常識が邪魔することも多いよ。だから世の中のことをあんまり信用するなと言いたい。世の中、疑った方がいいよ。私が25歳の時どうだったかなんていう話をしたところで、正直、何の役にも立たない。あの時代の25歳だから通用した話。だからみんなの感覚を大事にして欲しい。
高良この25年の間、会社経営はずっと順調だったのでしょうか。やり直したいと思ったことや、落ち込んだことはありますか。
平澤社長確かにもう一回やり直したいって思うことはあるけど、「よかったな」って考えた方がいいと思う。だって今、こうなっているのは変えられないから。そこはもう全部、自分が判断してきたこと一つひとつに対して、自分を褒めるくらいの勢いで。
後悔するっていうのは経験が増えるということ。特に25歳なんて、プライベートも仕事も全部、たくさんコケまくった方がいい。だから、それを前提としてやり直したいことはないね。会社経営がずっと順調だったかどうかでいうと、記憶しているだけで倒産の危機は3回くらいあったんじゃないかな。30歳の頃、銀行にお金を借りに行く時、初めて事業計画書を自分で一生懸命作って持っていった。結論から言うと貸してくれたの。あの時貸してくれた人がいたから、今のフェイス・グループがある。でも当時の事業計画書、今、私がそれを見たら絶対貸さない、そんな内容。それでもなぜ貸してくれたのかと考えると、やっぱり熱意だよ。自分ができると思ったことを言い通せたら、それはすごいと思う。言い通せなかったら、自分の考えが甘いと思った方がいい。絶対に貫くことだよね。でもあそこでしくじっていたら、ここで話すこともなかったし、君たちと会うこともなかった。そんなこと言ったら、一冊の本をかけるくらい失敗談はある。失敗談の方が多いかな。そもそも成功したという自覚は一度もないよ。
フェイスの仕事はAIには置き換えられない仕事。
平澤社長みんな聞いているかどうかわからないけれど、最近ちょっと思うことがあって。フェイスって、時代の半歩から1歩先を行けばいいのに、2歩先を行っていると思わない?
田中 そうなんですか?
平澤社長そもそも会社の設立も時代の2歩も3歩も先駆けてのスタートだったし、例えば、今ではSNSってみんな使っているでしょう。フェイスは、そのSNSの先駆けをおそらく15年近く前に手がけている。世界中がまだガラケーだった時代に、ショートメールのグループメッセージングサービスをイギリスでスタートさせた。もしかしたら世界初のソーシャルサービスだったかもしれない。でもね、1年から2年くらいでやめた。ちょっと早すぎた。あとわかりやすいところでいうと、今は病院でもWi-Fiが使えるけど、昔、病院内で携帯電話の使用が禁止されていた時代に、今でも古い病院で使われているテレビ視聴のための有料カードに代わるベッドサイド情報端末をサービスインした。これも早すぎた。だから逆にいうと、今やっている仕事が時代の中にいるなと思ったら、ちょっと危険。だから、2歩先に行き過ぎるんじゃなくて、1歩くらいがいいと思うんだけど、その1歩って何年先くらいだと思いますか。
田中1歩先ですか。どれくらいでしょう。
平澤社長イギリスで始めたソーシャルは「buzzuco」っていうサービスだけど、7年から8年くらい先すぎた。いや、もっとかもしれない。ベッドサイド情報端末は5、6年先すぎた。
西村じゃあ、2、3年。
平澤社長大丈夫?みんな異論はある?2、3年。
高良2、3年だと思います。
平澤社長じゃあ、2、3年後って何年?
高良 2020年ですね。
平澤社長そうなんだよ。東京オリンピックの年だね。その時、何をしているかだよね。2020年にローンチする、もしくは2020年にピークに持っていきたいことは、どんなことかな。
田中 28歳ですね。何をやっているんでしょうか。
平澤社長28歳って、なかなかいい時代、すごくいい年齢だよ。
田中 それはどういった観点ですか。
平澤社長今が入社して3年、経験も今の倍積むことになる。フェイスの最年少サブユニットリーダーって、多分28歳か29歳でなったよね。経験を積みすぎると、その経験が邪魔になるし、20代後半っていうのは、一番柔軟性がある気がする。そういえば、南麻布にある日本コロムビアのアーカイブセンター行ったことある?
高良先日行きました。
平澤社長蓄音機聞いた?
高良はい。電気を使っていないのに音が大きく、はっきりしていて驚きました。当時のレコーディングについてもお話しを伺ったのですが、その録り方もすごいと思いました。
平澤社長今なんてボーカル一音ずつ変えられるけど、電気がない時代にあれだけの音が出て、すべて一発録りだっていう緊張感に感動を覚えるよね。だからもう一つの観点として注意しないといけないのは、技術の進歩と音楽の進歩が一致しているかっていうことだよ。今後、ほとんどのものはAIに置き換わると思う。その中で置き換えられないことは何かと考えると、唯一「人を感動させられること、それは人以外には無理だ」と思っている。人間がやっているから感じる。蓄音機もそうでしょ。一発で録っている、何の編集もしていないから。そういう意味で言うと、フェイスの仕事は、AIには置き換わらない、置き換えられない仕事なんだよ。そこを軸に考えて欲しいと思う。
どんな情報をどんな形で残すかだけでなく、
「何のために」残すのかという観点が大切。
高良私は、オーケーライフで「OKMusic」というweb媒体と毎月発行のフリーマガジン「okmusic UP’s」を紙媒体で作っています。かなりアナログなところをフェイスの中でやっているのですが、有名な雑誌などが休刊や廃刊をしていく中で、これからどうしていくかも考えなくてはいけないと思っています。
平澤社長どう思う?紙って。
高良今、自分が紙にこだわっているのは、かつて好きだったアーティストが掲載された雑誌や会報を見て感動していたし、届くのをすごく心待ちにしていたというところが大きいです。やっぱり一定の紙を大事にする人の層はなくならないと思うのですが、どうでしょうか。
平澤社長どうでしょうか、って振られました。(笑)
西村私も雑誌の切り抜きとかも集めていました。今は集めていませんけど、それでもライブのチケットはやっぱり電子ではなくて紙で持っておきたいタイプです。
田中私もその一定層かな。毎回紙で買う人とか、毎回CDを買う人は、どんどん減っても、記念として持ち続けたい人はずっといると思っています。若い人でもレコードコレクターを始めている人もいますし、そういう文化は続いていくんだろうなと思います。
平澤社長今の2人の回答って、紙で持つということは、これからはコレクターズアイテムみたいにいわゆるニッチになっていくってことだよね。もう一つの観点としては、どのように残していくか、っていうことだよ。今、私たちがほとんどの知識や情報を何に記録しているかっていうとメモリー上でしょう。損傷したらリカバリーできないから、危険だよね。極端な話、石に書いて残した方がいいみたいな笑話もある。確かに新聞や雑誌も売れなくなって、廃刊も続いている。そうした中で、紙媒体はこれからどうなるのかって考えるよりも、何のために紙に残すのか、そういう観点でものを考えた方がいい。Webをプリントアウトして紙に残しても意味がない。紙で残す理由、紙でなければいけない理由って何か?だよ。流れていく情報だったら捨てるよね。それでも残したい情報は何か。ヒントは西村の話の中にあったよね。チケットとか。でも私は、チケットは捨てるけどね。それは人によって違う。流れていく情報は捨てるけど、自分の中で残したいもの、そういうものは紙にする価値がある。絶対に残るものとして。もしフェイスが新聞社だったら、例えば、誕生会の時とかに喜ばれるその人が生まれた日の新聞をそのまま再現して取り寄せられるサービスを始めると思う。普通のA4の紙で打ち出すのではなくて、あくまで新聞と同じ紙質でちゃんとした新聞の匂いがするもの。ただのA4の紙のプリントアウトと受け取る時と感覚が全然違うよね。多分、そういう観点だと思う。
高良確かに、昔社会科見学で新聞社に行った時、自分が生まれた日の記事がプリントされたコピー用紙をもらいましたが、今、もうそれはどこにあるかわからなくなっていますね。
平澤社長そうした観点で2020年に何をしているか、これは喫緊の課題ですね。
建設的な失敗は大歓迎。失敗を恐れずに道を拓こう。
西村お話しを伺って、これまで広い視点で物事を見ていなかった、いつも同じような方向から見ていることが多いと自覚しました。自分がこれから仕事をしていく上で、別の立場に立って、別の観点から、今、考えているサービスを見直していきたいと思いました。
田中私は、社長が「成功したとは思っていない」とおっしゃったのがすごく印象的で、これからも挑戦していきたいというお話しとか、起業当初は自信がなかったというのも、今の自分と重なるような感覚もありました。そう思うと、自分の可能性の幅は自分で決めてはいけないのだなと。
平澤社長正直、私自身今でも自信ないことはいっぱいあるよ。でも「自信はないけどやってみようか、やってみないとわかんない」でスタートできる、それが25歳だった気がする。だからみんな、突っ走った方がいいです。もう一つアドバイスしておくと、それでも周りの人が、サービス性がどうとか、マネタイズどうするのとか、きっとくだらないこと言ってくる。でも一つだけ頭に残しておいて欲しいのは、その人を説得できないのに、世の中の人に理解を求めるなんておこがましいということ。だから、その上司なり、周りの人たちなりを説得できるだけのことを言えたら、本当に世の中も説得できる、そう思った方がいいと思います。だから頑張って説得してください。熱意と感覚を貫くこと。
高良失敗しないに越したことはないと思いますが、今だからこそ失敗できるというお話しをいただいたので、今まで以上にいろんなことにチャレンジしていきたいなと思いました。
平澤社長それでいうと、私の仕事は何かって言ったら、いろいろあるけど、結局は尻拭いなんです。ただ、失敗の尻拭いの仕事ってそんなに嫌だと思わない。何が許せないかというと、「言われた通りやりましたができませんでした」という類いのもの。「自分で考えないのか」って思うわけ。私は、建設的な失敗はウェルカム、大歓迎なので、大丈夫です。
高良ありがとうございます。
平澤社長建設的な失敗をしてください。でも、失敗することが前提じゃないよ。失敗を恐れず、進んでください。あとは、ゴールに向けて道筋をつけること。どっちに向かって道を作ったらいいとか、どういう道を作ったらいいとか、そういう意見やアイデアは、みんなからどんどん出してください。
25歳の社員たち×株式会社フェイス代表取締役社長 平澤 創